思いめぐらす日常のひとこま

はてなブログに移行し、和紙を素材に絵づくりなどを考えめぐらしています。

【「JR北海道」に乗って】 旭川駅 ①

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JR札幌駅から、旭川駅まで特急で1時間30分ほど。冬季は雪害で大幅に遅れたり、運休もあります。


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3階ホームから階段やエスカレーターで、2階へどうぞ。


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2階から1階へのエスカレーターや階段横の壁面には、現在の駅舎建設に賛同した市民の名前が刻まれています。


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1階へ。改札口は東西にありますが、駅構内で移動ができます。

 

JR北海道で移動する事が多いので、駅の画像をアップしていきます。1回目は旭川駅シリーズです。

旭川駅は1898年(明治31年)に開業し、2011年(平成23年)11月23日に、地上駅だった駅舎を、高架駅の全面開業した4代目駅舎です。

3階のホーム部分は全面ガラス張りです。まず、天井を眺めてください。屋根を支える強い柱が枝分かれし天井に伸びています。屋根を支える柱がないホームもあります。

ホームから降りた2階は、どこに行きたいのか、ホームの選択になっています。そこから1階に行くエスカレーターや階段の横壁面、刻印壁材に1000人の名前が刻印されています。約80%の旭川市民や道内から賛同し方々の名前です。

旭川は木材、家具の街と言われるように、旭川の玄関として駅には至る場所に木材が使用されています。構内に木の温もりを感じホッとします。1階は東西の改札口になっていますがホームに行くためには必ずこの2階の場所に着くようになっています。

 

次回は、駅構内から外に出て見ましょう。

 

(★カーソルの場所に画像が貼りつかないで、ポン、ポンと上にいきます。そのため文章の流れから画像選びに苦労していますが、あとはスムーズに出来上がります。もう少し「はてな」に慣れたら、画像を並べて貼り付け、1ページを読みやすくできればと思っています)

★<手すき和紙を素材にした作品づくりのご紹介>

 
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   ♪ 作品づくりの準備で、こんなことをしています ♪

 まず種々の和紙を染めた用紙、用具はピンセット、やまとノリ、数本の絵筆に、キャ      ンバスです。和紙は細かくちぎり、重ねていきますが、息で飛ぶような小さいクズも立  派な素材になります。

 

  ♪ 作品づくりを始めます ♪

 和紙を薄く自由自在に伸ばし、木の葉などは、ぼそぼその和紙で材料作りをします。  描く和紙に合せてノリを水でとき、絵筆につけてピンセットと絵筆で貼りながら形を作り出していきます。 薄い和紙を重ねていく気の遠くなるような作業ですが、徐々に仕上がっていき、遠くから眺めたり、手直しをしたりなど楽しい時間ですね。
 
出来は別として、完成後の達成感があり、作業の苦労も忘れて次の作品づくりが楽しみになります。

 

 

 素材の種類

 素材は、無地の和紙を染色しています。厚さはさまざまですが、のびる紙、細かくちぎるなど、表現したいものに合わせて使用していきます。

 薄い和紙:主に仕上げに使用します。

 ぼそぼそ和紙:葉物や雪景色に使用します。

 厚い伸びる和紙:さまざまなものに使用します。

  そのほか、表現したいもので和紙を選びます。

(備考:はてなブログで画像を貼りつけると、全部上になりますので、用紙の画像は

 貼り付けないようにしました)

お・と・な・り

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 さて、庭園の入り口から左側のなだらかな丘に沿って、春の小さな花たちが咲いて

 います。この場面から少し下った所に川が流れています。

                           (知事公館シリーズ5)

 

  ★画像は和紙を素材に作りました。大きさはF6号です。

  作品づくりは、薄い小さな和紙を重ねていくので完成までけっこう手間が

  かかります。

 

  シリーズは、まだまだ続きます。

北海道知事館の庭園(建物は国の登録有形文化財)

f:id:ku3re5:20190906085611j:plain ★庭園の簡単な地図を和紙の素材で作りました。F6号です。(知事公館シリーズ3)

庭園内には広い芝生や木々のほか、おだやかな起伏があり、人工的な水路にはたっぷりの水が流れる緑に囲まれた庭です。昔は敷地内に湧水が小川になって流れていたようです。また1000年前に住んでいた、竪穴住居の跡地も敷地内にあります。

 知事公館は札幌市の中心部に位置し、近接して「北海道立近代美術館」、「北海道立三岸好太郎美術館」があります。

1930(昭和11)年に知事公館は三井の別邸迎賓館として建てられました。

戦後、北海道の所有になり現在も知事公館として会議等に使用し一般に公開されています。

札幌オリンピック開催時に、昭和天皇・皇后両陛下(現上皇上皇后)と皇太子殿下(現天皇)ご一家がお泊りになっています。三角屋根に白い壁と赤い線を配したお洒落な洋館です。

庭園では木々の花や小花で四季の彩りを添え、自然を感じながら安らぎの場、子供たちの遊びの場になっています。広い芝生には彫刻作品(安田侃作「意心帰」、流政之作「サキモリ」も置かれています。

JIR札幌駅から徒歩で40分ほど、地下鉄やバスの利用ですぐです。

庭園の開放は5月頃から11月末で。冬期は休業ですが、知事公館は(土、日、祝日と12月29日~1月3日を除き、開館しています。建物内から裏庭の冬景色を眺めるのが楽しみです。 

 

 

絵本のご紹介

九州北部大雨などで被害が拡大していますが、少しでも被害が少ないよう願うばかりです。心からお見舞いを申し上げます。

ヤフーブログから移行しましたが今までと勝手が違い、どのように活用できるか今後考えていきたいと思っています。

今回 私ごとですが、絵本を作りましたのでご紹介いたします。

ホームページにアップしていたものを見直して1冊にまとめ、8月に発行の運びとなりました。 もしご興味を お持ちいただけましたら下記で絵本をお求めいただけます。

どうぞよろしくお願いいたします。

 

作(文章と絵):まぐだ れいな(ペンネーム)

印刷・製本・発行:石田製本株式会社(北海道札幌市西区発寒16条14丁目3-31)

        TEL 011-676-4520

<発売先>

★いしだ えほん

いしだえほん

https://p-books.jp/ehons/

 

いしだ絵本@アマゾン公式 |

                   

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<74回目の終戦の日を迎えて>

残暑お見舞いを申し上げます。
今年は札幌で真夏日10日以上続き、68年ぶりとのことです。
暑さが厳しい日々、どうぞご自愛くださいますようお願いいたします。
 
さて、ヤフーブログサービスの終了で、824日に引っ越すことに決めました。
はてなブログ」に移行の予定です。
ブログをあまりアップしていませんが、ご来訪をありがとうございました。
これからもブログでお会いする機会もあるかと思います。その節にはどうぞ宜しくお願いいたします。

★ 最後のアップです。

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東日本大震災後、また広島、長崎で原爆が投下された悲しい出来事を忘れないように、 「一日1羽、1万鶴」折り鶴の世界を作っています。


2019419日に、アイヌ民族を「先住民族」と初めて明記したアイヌ新法が成立しました。そのことと1945815日の終戦記念日を重ね、次の一歩として折り鶴の世界を作りました。(「平和の道 踏みしめて」2341羽)

 舞台は30㎝×40㎝。3㎝×3㎝の和紙で鶴を折る。添え物は日常に使用する物を活用。このとり決めた世界で、折り鶴がどんどん増えていくので、どう羽ばたいてもらうか・・、悩みます。

★現在、ホームページに作品を載せていますが、ファイルのホームページビルダーが故障し、そのままになっています。

ブログ移行先の仕様をみて、新しいビルダーでホームページを再開した方が良いか検討したいと思っています。


「表現の素材 和紙」ホームページアドレス(2019.3月ヤフー関係のサービスが終了し、http://raka3.g2.xrea.com/ に移行)


 




新春のお喜びを申し上げます

あけまして、おめでとうございます。
 
昨年はご来訪をありがとうございました。
本年もどうぞ宜しくお願いいたします。

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和紙を素材にハガキ大でつくりましたが、和紙で文字を書くのは難しいですね。
今年も楽しいことが多くありますよう、みな様の幸いを願ってつくりました。
また、少し頑張ってブログをアップしたいと思っています。
これからも、ご来訪をお待ちしております。


★松浦武四郎が見た、蝦夷地を支配する松前藩 ⑤

さて、道南の「上の国町」から「松前町」に入り、北前船の寄港跡地にある道の駅「北前船松前」で昼食。松前は北海道の最南端に位置し、江戸時代には商品を運ぶ買積船の寄港で繁栄した町です。道内で唯一の城郭がある松前藩屋敷や寺院が多い城下町、桜の名所とも言われています。天守閣近くの松前公園や桜見本園など4月下旬から5月中旬頃まで多種の桜が満開になり街に彩りを添えます。

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松前城前にある、北海道の桜開花を知らせる古木の桜です。)                             


松前に住んでいた磯崎氏が松前氏と名乗り、「5世の慶広」が1600年(慶長5年)~11年間かけて同じ場所に大規模な「福山館」を築きました。

1849年(嘉永2年)幕府は北方警備のために、松前17世の崇弘」に「福山館」の改築を命じています。本格的な城の設計で、1854年(安政元年)に完成した「松前城」は、日本式の木造城郭という最後の城になっています。
<「東西240メートル、南北300メートル、16の門、7つの砲台、4つのやぐらを有するわが国最後の本格的築城であった」―福山城松前城)の沿革―より>

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明治元年の函館戦争で天守と本丸御門のみを残す状況、昭和24年には業火で三層天守を消失しています。昭和35年~36年に鉄筋コンクリート造りの天守(地上3階、地下1階建て)、現在の城を再建しました。
北海道新聞129日の夕刊に、「渡島管内松前町は・・江戸末期の建設当時の木造で復元する方針を決めた。来年度から基本構想の策定に着手し、最短で2035年度の完成を目指す」の記事。江戸時代末期に造られた城郭のお披露目が楽しみですね。

現在の天守閣は資料館として開放しています。20183月に展示内容をリニューアルし、城内2階には松前出身、藩の家老画家の蠣崎 波響(かきざき はきょう)作「夷酋列像」(いしゅうれつぞう)11点が展示してありました。(フランス・プザンソン美術考古学博物館所蔵の複製)(パンフレットから写真)

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(パンフレットから)

<幕末の松前藩

蝦夷地は幕府が支配し、中世時代には罪人などの流刑先となっていたようです。秀吉~家康時代には朱印状を通して松前藩は徐々に成立していきます。藩は蝦夷地の交易窓口として、主に課税の収入で生計を得ていました。松前を中心にした領域を和人の地とし、他はアイヌ領域と区分して物を交換する、アイヌ人との友好な関係を結んでいました。しかし、コメが採れない課税収入だけの藩財政は大変だったようです。

1457年頃、道南方面でアイヌ民族と和人が全面的に戦争をしています(コシャマインの戦い)。あるきっかけで先住民が蜂起し破れましたが、小競り合いがその後も続いています。アイヌと和人との間に不平等な交易もありました。松前藩は徐々に出費が重なり、家臣に一定の場所でアイヌ人との交易を認めて収益を給料にみなすとし、家臣が交易を商人に任せたのが「場所請負制」です。商人に「運上金」を幕府に納めさせ、アイヌ民族に自由な移動を禁じて交易を制限していきました。

1789年に蝦夷地の東部、道東方面でアイヌと和人が衝突。(クナシリ・メナシの戦い)。和人商人がアイヌ人に対する過酷な状況にアイヌが蜂起し、和人に多数の死者が出る一方、蜂起中心のアイヌ人は処刑される痛ましい事件になりました。松前藩は幕府から咎められないよう騒動の収束と藩の存続のため26歳の画人蠣崎波響に命じ、波響は幕府に協力したアイヌの酋長12人をモデルに「夷酋列像」を描きました。画家は筆を走らせて幕府を救ったと言われ、多くの作品も残しています。

さて、32歳の松浦武四郎1849年(嘉永)に3度目の蝦夷地調査をします。結果を地図と日誌で調査記録35冊にまとめて発表しました。アイヌの人々と生活を共にしながら蝦夷地図を作成し、先住民アイヌの人々が、どのような暮らしにあったのか、事例をあげて詳細に書いています。
松前藩の圧政や商人の悪徳な行為はアイヌ民族の受難と報告し、和人がアイヌ民族を使役として苦しめている原因は藩の「場所請負制」にあると批判しています。この調査記録は中央では評判となりましたが、調査を協力していた松前藩の役人や商人は「なんなんだよ」激怒でしょう。その後、武四郎は39歳まで蝦夷地に渡っていません。松前藩から目を付けられ、商人の怒りを買い、個人として蝦夷地の探索が難しい状況だったのでしょう。

北海道新聞 1221日の記事)「アイヌ政策担当相 石井国土交相を任命。・・政府はアイヌ民族に関する新法案を来年1月召集の通常国会に提出する方針。」
現政府の沖縄及び北方対策担当は石井国土交相です。日本を守る目的で、南方と北方の地域では歴史的に強いられた経緯もあります。明治2年に蝦夷地が北海道と命名されてから150年。松浦武四郎が歩いた北海道の南方面を辿っていましたが、武四郎が見た先住民の主権はどうだったのか、もう少し続けたいと思います。

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次回は、松浦武四郎 原著「近世蝦夷人物誌」から アイヌ民族の過酷な暮らし ⑥   つづく。





厚沢部町「蛾虫温泉旅館」と、レクの森「ヒバ爺さん」(北海道新聞函館支社の記事)④

北海道胆振東部地震」後、震度6弱という初めての体験で意気消沈していたある日、
函館の友が切り抜いて持ってきた北海道新聞函館支社の記事を読み、ブログを書こうと意欲が湧いてきました。

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江差の当日は曇り空。「かもめ島」では夕日も、海を隔てた「奥尻島」も雲に覆われていました。
そこから車で30分ほど、厚沢部町にある「蛾虫(がむし)温泉旅館」に着きました。
町はメークインの発祥地、紫の小花をつけたじゃがいも畑が一面に広がる、のどかな場所に旅館は建っています。新鮮な海や山の幸、盛り沢山の美味しい料理をいただき、庭園を眺めながら天然温泉の広い大浴場や、岩造りの露天風呂に入り、ゆったりと贅沢な夜を過ごしました。
あとで道新の記事を読み、この温泉浴で松浦武四郎も旅の疲れを癒したと分かり、幕末の時代がぐんと近く感じられます。

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<レクの森>

翌朝、車で10分ほどにある「レクの森」へ。ブナなどの広葉樹と道内でこの場所にしかない、貴重なヒノキアスナロ(ヒバ)などの針葉樹が混在している森です。

入り口の右側には駐車場やトイレ、バーベキューハウスなどがあり、左側が「森林展示館」。森に入る前に「入林届」が必要です。

①小沼散策コース ②森林浴コース ③ヒバ登山コースと、3つのコースが楽しめます。

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さて、開館時間前のため電話で入林の承諾を得て、③のヒバ登山コースを選びました。

私は2人に付いて行くだけです。濡れた道草を踏みしめ、小枝に絡んでいるクモの糸を手で払いながら、山側の最も奥の方に向かって15分弱歩いた所に「あずま屋」がありました。前を流れている細い川を渡って、急斜面に入ります。
細い曲がりくねった道を登りますが、自然道の両側は樹が斜めに根を張って立っている深い沢です。高所恐怖症の私は足が震え途中でギブアップ。飛び越えられそうな川なのに、中の石を伝って「あずま屋」まで戻り、クマよけにと江差追分節らしい声掛けや、思いつく歌を唄っていました。
2人は「ヒバ爺さん」まで行き、「エゾライチョウ」が飛び立つのを見てきたとのこと(ヒバ巨木は、直径2m、高さ30m、樹齢500年から600年)。

「ヒバ爺さん」から少しゆるやかな道を行くと、「ブナ婆さん」があるようです。2人は私を心配して戻ってきたのですが、どうも小学生でも登山が楽しめそうな場所です。


江差方面から上の国町の「天の川」橋を渡り、「上の國八幡宮本殿」(道指定文化財)、
「道の駅 上の国もんじゅ」⇒松前町へ。

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本殿は、1699年に建立し、明治9年、現在地に遷しています。

画像は拝殿。
少し開いていましたが、本殿は奥に建立されており、外部から見学はできないとのことです。







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次回は、★松浦武四郎が見た、蝦夷地を支配する松前藩 ⑤