思いめぐらす日常のひとこま

はてなブログに移行し、和紙を素材に絵づくりなどを考えめぐらしています。

★道内のJR駅シリーズ 白石駅 周囲の歴史 ②

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さて、白石駅待合室のドアーから南側と北側を結ぶ自由通路に出ましょう(幅36m×奥行き4m)。右側の白い壁に「白石駅」の文字が目立ちます。左側にはパン屋さん、美味しいらしい。帰りに立ち寄ることにし、今回は左側の北口方面に行きます。


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通路中央の窓からは線路で行き交う列車や、その奥に高層ビルの多い街並みが見えます。ゆっくり眺めるのも良いでしょう(快速や特急は止まりません)。中央通路を左折する右角にエレベーター、こちらにも自由通路があり休憩ができます。北側の窓から見て、高層ビルや大型商業施設は少ないようですね。奥のエスカレーターを降りて1階構内から外に出ます。


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「旧駅の写真がどこかに掲示してありますか?」「ないです。北側の1階に古い写真がありますね」と駅員さん。これが壁に掲示してあった鈴木煉瓦製造場です(写真はレンガ干し)。写真に「鈴木煉瓦製造場は明治17年(1884)に、現在の白石区平和通6丁目につくられ、北海道における本格的なレンガ製造業の先駆けとなりました。・・」。現在の駅住所は平和通3丁目、駅に近い場所にレンガ工場がありました。駅の広場モニュメントにレンガが使用されています。多分、皆さんは観光や写真でご存知でしょう。「北海道庁本庁舎(赤レンガ庁館)や東京駅の丸の内駅舎も、白石のレンガで作られたようですね。


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★札幌市白石区の歴史を簡単に、少し長文になります。

1871年(明治4年)に仙台藩白石城主が移住して出来たのが白石村です。1972年札幌市の白石区となりました。

白石駅は主に貨物運搬、簡易停車場として開業しています。先のレンガの話ですが、北海道でも良質な資源としてレンガや石炭が国の中央の発展のために、鉄道が敷かれて港湾まで運ばれていきました。

いつの時代も国の計画に翻弄されながら中央都市が栄えていき、地方地域の経済的な潤いは、一時的になるようです。(夕張などの地域で栄えた炭鉱も、夕張市の経済破綻から12年経ち、超高齢化、人口減少を抱えています。都市と地域の貧富の差が生じる深刻な問題になっています。)

 

★北海道は蝦夷と言われていました。明治幕末ごろに松浦武四郎蝦夷地の調査をして北海道と命名し、しかも石狩川支流の湿地の広い土地(現在の札幌)を見て京都を想い、北海道の都にしなさいと提案までしたのです。

明治政府が札幌に「北海道庁本庁舎」を設置し、札幌は計画的に発展してきました。北海道の農業国開拓に向けて北欧の要職者を招聘し、クラーク博士を教頭に「札幌農業学校」を開校し、(現在の北海道大学)で研究者や人材を育成したのです。

卒業した内村鑑三新渡戸稲造、後に母校の英語教師となり、白石区菊水で過ごした小説家有島武郎も、その一人です。

 

★次回は札幌市街を貫通する豊平川。沿岸に居住する歴史に少し触れて見ましょう。