思いめぐらす日常のひとこま

はてなブログに移行し、和紙を素材に絵づくりなどを考えめぐらしています。

戦争責任をテーマとした旅、絵画。―画家 富山妙子氏の著書から ③

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★8月19日 ツイッターのタイムラインに富山妙子さんが亡くなったとの情報があり驚いています。今年の3月には韓国で共催展を開催していました。誕生月は11月ですから100歳にあと少しで残念です。ツイッターのおかげで本を通して画家の生きた証を知ることができ、感謝しつつ魂を解放して新たな一歩へと念じ、お悔やみを申し上げます。

 

幾何学的な形態のボタ山が絵のモチーフになり、ボタ山の下からは坑夫のうめき声も。

 筑紫の山々を越えた眼下に筑豊の平野には大小のボタ山が点在していた。Fさんは「ここは炭鉱が八百八丁あるといわれ、食いぱぐれた者はこの峠で思案し、煙の出るところをたずねてゆけば、なんとかなるといわれとったんです。・・」(93頁) 「・・くる日もくる日も、私は閉山のヤマをたずねてまわった。夜逃げ、坑内災害、一家離散、栄養失調—私の毎日は半飢餓地帯でみる救いようもなく暗い生活である」(99頁)

「戦後、労働運動の高揚とともに文化もまた新しい担い手としての労働者・・・人間解放と人間変革をめざし、社会環境を根底から問い直そうとする熱気がこもっていた―私もそのエネルギーに自己変革をとげたいと思う。・・私の炭鉱遍歴がはじまった。」(104~105頁)

 

<★本の紹介>

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<『筑豊炭田に生きた人々—望郷の想い【近代編】』 著者:工藤瀞也 (2008年発行/海鳥社)>

 石炭産業は地域を形成し発展した全盛時代と、エネルギー政策の転換で閉山に追い込まれていく1885年~2004までを前編として「産炭地筑豊」をまとめたのが本書です。「・・石炭産業の壊滅に伴う諸課題が集中したのが「筑豊」地域であった・・」歴史博物館 館長安蘇龍生氏の刊行文            (表紙、右の絵は千田梅二画)

 

 著者(富山氏)が「筑豊炭鉱」に行き来する頃には配炭公団が廃止され自売が始まっていました。各地で炭鉱ストが続発。(著者が北海道に渡った時に三井鉱山ストライキ「英雄なき113日のたたかい」があり、2701名への解雇に反対した労働組合側が勝利)。しかし石炭鉱業合理化の措置法で、大手14社はロックアウトを宣言して閉鎖が続き、零細企業を残す状況でした。

「・・約十年間、暗い地底や、黒ずんだボタ山の絵ばかり描き続けてきて、私のパレットには明るい歓びの色はない。・・私は自分が見えない。私は自分の個性とはあまりにもちがう暗い地底にしがみつき、何も出ない鉱脈を掘っていたのかもしれない。・・十年の炭鉱遍歴がどっと一度に疲労となってのしかかり、自分のしたことがひどく空しく思われた・・」(118頁)

 

⓶『戦争責任を訴えるひとり旅—ロンドン・ベルリン・ニューヨーク—』 富山妙子著/岩波ブックレットNO.137

(冒頭の写真)

著者は 1950年代:炭鉱をテーマに制作。 60年代:ひとり旅から第三世界をテーマに。 70年代:韓国をテーマに制作。 80年代:戦争責任をテーマに。 77年より、絵の映像化をはじめています。(本書の著者紹介より)

 炭鉱離職者の一部が南米へ移民。あるきっかけで1961年10月に「沖縄移民」で日本がチャーターした船で日本を出発し、ひとり旅がはじまりました。 第4章:南半球(苦い大地) 第5章:ソビエト・ヨーロッパ・中近東(自由とは) 第6章:インド(命の極限) 第7章:重いきずな(わが日本、わが朝鮮) 第8章:前夜(語れ夜は夜だと)と続きます。絵の色彩も鮮やかなものになっています。 少女時代にハルピンで過ごした著者は日本の中国侵略を思うと暗い戦争と、敗戦の中で日本が責任を負う意味、日本に踏みにじられた隣国の人々に思いを馳せて旅をし、「・・日本政府が欠落させている戦争責任の追求を、小さな弱者である私たちの手で行おう・・」(あとがきにかえて 373頁)と結んでいます。 旅をしながら、問いかけながら多くの作品描き、20冊ほどの代表的な出版物もあります。 (おわり)

 

★最後にひとこと。

『わたしの解放』を読んで、大正、昭和、平成の時代に押し寄せる社会の歪に、著者が果敢に挑んでいく行動力や世界の大きさに圧倒されました。その中で炭鉱産業に生きた人々の暮らしから夕張の話を思いだしました。南夕張出身の友達がいて、お兄さんは外科医でした。大きな声で「雨露しのぐ屋根があるだけでも有難いと思わなきゃ」と話すので、なんか可笑しみがあって妹さんと顔を見合わせて頷くこともしばしば。お父さんは三菱南大夕張の社員とのことですが、小さい時から炭鉱労働者の過酷な環境を見ていたのでしよう。

床に入って天井を眺めながら、この言葉を思い出します。今も新型コロナウイルス感染拡大の影響で仕事や住まいもなく、十分な補償も得られない人もいます。著者は日本主義からの「棄民」がいると、移民の問題を取り上げていますが、この令和でも社会底辺にいる人は、ある意味では「棄民」としての姿ではないでしょうか、と思うのです。

 

★私事です。ブログをあまり投稿していませんが、ホームページの方はソフトが壊れてしまい、そのままになっています。ブログと一つにしたいのですが簡単にはいかないようで思案中です。

 

長文になりました。読んでいただきましてありがとうございます。