思いめぐらす日常のひとこま

はてなブログに移行し、和紙を素材に絵づくりなどを考えめぐらしています。

「東日本大震災を振り返って、何ができる?」

イメージ 1
 
昨年の311日、東日本地方に大地震津波原発が襲い心を痛める大きな出来事になりました。
その被害を蒙り、現在も頻繁な地震放射能の不安、影響の中で生活しています。新聞やテレビ、インターネットでは、1年を迎えて現状はどうなっていて、これからはどうするのか、などの特集を組んでいるようです。
 
日本全体で関心を寄せていた1年、私もブログに載せたものをまとめてみました。
<個人ブログから>
   316日「東日本大震災は想像を超えるできごと」
 
   44日「震災の傷あとに、やさしい音色を♪」
 
個人サイトに取り上げた写真から
  23年月425日】:【2411日】:【2433日】
イメージ 4
イメージ 3
   
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
3回、「奏でる乙女」の前で、心を合わせました。
イメージ 5
   イメージ 6
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
美幌町で、震災に心を合わせて、心の、生活の再生を願いました。
イメージ 7
 
昨年、小樽の春香町で開催された、自然への再生がテーマです。
「ハルカヤマ藝術要塞2011」から
谷俊彦作品。
荒廃したホテル前の倒木に、ポリスチレンのキノコが陽を浴び、そこに、本物のキノコも混在していました。
 
 
 
 
 
<知っている方、生の言葉から>
   インターネットの中で、ツイッター、ブログ、記事を通していただく、生の声と写真の情報は、身近で心に染みました。
その中でも、津波でお母様を亡くされた方のブログを拝読して、15,854人の死者、3,276人の行方不明者という数字の塊が、一人の死のありさまと、家族の苦しみが見えた瞬間でした。一人一人の具体的な哀しみがあることを教えていただきました。(数字は32日の現在数)
 
   所属している団体から数名の方がボランティアとして、交代で今も宮城県に出かけています。その報告から、問題が山積していて、どんなに大変かが伝わってきます。これからも協力したいと思っています。
 
<特に気掛かりなことは>
 その都度、何が出来るか、機会を捉えて考えていきたいと思いますが、私の最も気になるのは、震災遺児と孤児になった、18歳未満の子供さんの気持ちです。
 
震災後の情報は、234月にインターネットでデータを見ました。6月に、東北3県のデータが河北新聞社から出ています。(震災孤児 201人。親族里親の申請増加の内容) その後の情報は、インターネットや新聞社でも、全体的なデータがありませんでした。
 
35日、3県庁に電話で確認し情報を収集したデータです(各県庁での情報管理)
 ★岩手県(震災孤児:126人 震災遺児:741人 222日現在)
 ★福島県(震災孤児:21人 震災遺児:141人 35日現在) 
宮城県(震災孤児:23人 震災遺児:487人 213日現在)
  3県合計:震災孤児: 170人(両親が死亡) 
       震災遺児: 1,369人(母子、父子家庭)
24年の31日の毎日新聞の情報から、震災遺児2,005人のうち、小学生以下が43%。
 
遺児、孤児になる子供さんは、いつの時代にもいました。
ただ、昔は周囲の範囲で、家族の話を楽しんでいましたが、今はインターネットの時代です。
一般の人が不特定の人に向かってあまり意識しないままに、個人的な内容を思いのままに流しているのが普通になっています。受ける側は、当たり前と分かっていても、いざ目の前で見せられると心が辛くなると想像します。不幸な情報は、自分もがんばろうと力になりますが、楽しい情景を見ると、どうすることもできない哀しみを、その都度、味わう機会になるのかも知れません。
 
震災後の気がかりな事でした。(震災だけでなく、病気や交通事故でも周囲に起こりますが)そのような時に心に寄り添う、勿論、直接的には難しいですが、心を寄せて関心を持つのは、環境的にも、私にできる一つかも知れないと思っています。
 
イメージ 2
 
本を購入しました。
★「河北新報のいちばん長い日」
 
★「心をつなぐニユース」
 
★「被災地の本当の話をしょう」
(鳥羽太著 新書)
 
★「東日本大震災と戦った無名戦士たちの記録」
麻生幾著)