日本全体で関心を寄せていた1年、私もブログに載せたものをまとめてみました。
<個人ブログから>
② 4月4日「震災の傷あとに、やさしい音色を♪」
③個人サイトに取り上げた写真から
【23年月4月25日】:【24年1月1日】:【24年3月3日】
3回、「奏でる乙女」の前で、心を合わせました。
美幌町で、震災に心を合わせて、心の、生活の再生を願いました。
昨年、小樽の春香町で開催された、自然への再生がテーマです。
「ハルカヤマ藝術要塞2011」から
渋谷俊彦作品。
荒廃したホテル前の倒木に、ポリスチレンのキノコが陽を浴び、そこに、本物のキノコも混在していました。
<知っている方、生の言葉から>
① インターネットの中で、ツイッター、ブログ、記事を通していただく、生の声と写真の情報は、身近で心に染みました。
その中でも、津波でお母様を亡くされた方のブログを拝読して、15,854人の死者、3,276人の行方不明者という数字の塊が、一人の死のありさまと、家族の苦しみが見えた瞬間でした。一人一人の具体的な哀しみがあることを教えていただきました。(数字は3月2日の現在数)
<特に気掛かりなことは>
その都度、何が出来るか、機会を捉えて考えていきたいと思いますが、私の最も気になるのは、震災遺児と孤児になった、18歳未満の子供さんの気持ちです。
震災後の情報は、23年4月にインターネットでデータを見ました。6月に、東北3県のデータが河北新聞社から出ています。(震災孤児 201人。親族里親の申請増加の内容) その後の情報は、インターネットや新聞社でも、全体的なデータがありませんでした。
3月5日、3県庁に電話で確認し情報を収集したデータです(各県庁での情報管理)
3県合計:震災孤児: 170人(両親が死亡)
震災遺児: 1,369人(母子、父子家庭)
遺児、孤児になる子供さんは、いつの時代にもいました。
ただ、昔は周囲の範囲で、家族の話を楽しんでいましたが、今はインターネットの時代です。
一般の人が不特定の人に向かってあまり意識しないままに、個人的な内容を思いのままに流しているのが普通になっています。受ける側は、当たり前と分かっていても、いざ目の前で見せられると心が辛くなると想像します。不幸な情報は、自分もがんばろうと力になりますが、楽しい情景を見ると、どうすることもできない哀しみを、その都度、味わう機会になるのかも知れません。
震災後の気がかりな事でした。(震災だけでなく、病気や交通事故でも周囲に起こりますが)そのような時に心に寄り添う、勿論、直接的には難しいですが、心を寄せて関心を持つのは、環境的にも、私にできる一つかも知れないと思っています。
本を購入しました。
★「河北新報のいちばん長い日」
★「心をつなぐニユース」
★「被災地の本当の話をしょう」
(鳥羽太著 新書)
★「東日本大震災と戦った無名戦士たちの記録」
(麻生幾著)