思いめぐらす日常のひとこま

はてなブログに移行し、和紙を素材に絵づくりなどを考えめぐらしています。

<詩人瀧口修造が、小樽で過ごした跡地を訪ねて>②

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1923年(大正1212月):瀧口修造20歳の時に関東大震災に遭い、小樽に住んでいる姉宅に身を寄せていました。その頃に修造が歩いただろうと思う道、場所を想像して「小樽公園」周辺を探ってみました。
 
    さて「島屋」の跡地から前方の坂道を徒歩10分ほどで「小樽公園」の入り口へ着きます。小樽公園(昔は花園公園と言っていた)は小高い丘で入口がいくつかあります。その日は暑かったので、とにかく森に入りたい。坂の勾配は嫌だったのですが、途中の細い小路を登って公園に入りました。中を歩いていて彫刻作品を見つけて撮っていたら、思いがけない建物を発見。作品の背後に小樽市公会堂の建物がありました。6年前、能の公演を観るために、建物内にある能楽堂に来ていたのです。隣接して市民会館があります。(写真:小樽出身の彫刻家斉藤吉郎氏の作品。)
 
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   ここを下ると市役所の向かい側に図書館があるのですが、違う方向に出たのか、体育館でした。
(歩いた場所を地図で紹介します。 見にくいのですが番号を記しておきます)
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   修造が小樽に着いた1ケ月前、小樽公園の一角に白いお洒落な洋館木造2階建ての図書館を建設していました。修造はよく図書館に通っていたようです。(現在と同じ場所
 
    修造は勉学のため、島屋の近くにある下宿に移り住んでいますが、場所がはっきりしません。
修造は「公園の暗い裏道を・・・。明るい街へ行くには公園の小山を越すのであった。」(図録より)
緑町2丁目~入舟5丁目辺りに下宿があったようだが、緑2丁目は小樽公園を挟んで「島屋」の反対側に位置し、入舟5丁目は「島屋」の下の方になる。距離的には「島屋」に近いが修造が通った図書館は少し遠くなる。
 当時の道路具合や地形もあるので今の地図ではよくわからない。)
 
 修造は「夕刻、不図硝子戸をのぞくと、姉が息を切らしながら坂道をあがってきた。澄んだ青い夕空が雪道へうつつている中を、時々よちよちしながら歩み寄る姿は美しかった。・・・・姉は寒い風を背負って帰って行った。うしろ姿が死んだ母に似てゐた。」(図録より)
 
   バス停「花園公園通」から「住吉神社前」まで数分。その中間あたりに入舟十字街があり、入舟5丁目辺りは住吉神社に近い。住吉神社の鳥居前に2つの病院が建っているが、その間の道を歩いて南小樽駅まで10分以内。
下宿は、どの辺だったのでしょう。とにかく島屋の跡地と下宿していた
周辺、小樽公園をなぞってきました。(①~⑤)
 
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横道にそれますが「小説家、文芸評論家、詩人の伊藤整小樽出身です。
数え年18歳で小樽高等商業学校へ入学(1922年)
 
「山の中腹まで、かなり急な坂を二〇分ほど登ったところの左手に校門が
あった。・・その細長い緑町を海からさえぎるように、小高い丘がある。
その全体が公園になっている。公園の丘を越えると、更に下方には花園町
稲穂町という賑やかな中心街があり・」(「海の見える丘」伊藤整より)。
 
伊藤は中学3年になってから、小樽の隣にある塩谷村の自宅から汽車で通っ
います。「通学列車は、蘭島村、塩谷村を通り、小樽市の中央停車場へ着
のである。・・停車場は、高等商業学校から坂を下りて、少し左に折れた
ところにあった。・・三五分ほど歩いて、その中学校に通った」
                      (「海の見える丘」より)
伊藤整は、上級生の小林多喜二日本のプロレタリア文学の代表的な作家
小説家)との交流、また1926年には有名な詩「雪明かりの路」を発表し
います。
 
修造は1923年の12~小樽に住んで図書館に通っていましたが、1925年に東京に戻ってからも、在学中の休みには小樽に帰っています。
 
「ひと夏を北海道の蘭島海岸で、むつかしいブルトンの「宣言書」や「磁場」を相手に未熟な語学力でたヽかった」。小樽駅から蘭島駅まで20分。蘭島駅から海水浴場まで徒歩約10分。蘭島海岸をシュルレアリスムに覚醒した場所だと明言している重要な回想、図録より)。
 
蘭島の隣が塩谷。そして小樽の近距離に移動しながら詩に関心を持ち、伊藤整と同時代に生きていた瀧口修造。修造は、伊藤整を知っていたのでは、と思うのです。
 
<最後に> 
どうしても住吉神社から見える小樽の写真を撮りたい。島屋跡地から、徒歩でも行ける距離ですが、神社の階段はちょっと辛い、タクシーで景観のいい場所を探したが、鬱蒼とした大きな木ばかりで、2つの病院と教会がある住宅がちらっと見えるくらい。JR南小樽駅に下って振り返ると、右側に「小樽教会病院」、左側に「市立小樽病院」が「住吉神社」の鳥居が見える所に建っていました。市立病院の隣は建て替のため建設中でした。
 
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JR南小樽駅から数歩、小樽の海が見えますが、海岸はもっと、坂道を下った所。当時は、この中間辺りが賑やかだったのでしょうか?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
<ひとときのしあわせを>
1012日の朝、札幌では虹が刻々と変化して広がっていました。しあわせな夢を、お贈りします。
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