思いめぐらす日常のひとこま

はてなブログに移行し、和紙を素材に絵づくりなどを考えめぐらしています。

<「札幌国際芸術祭」連携事業、そらち炭鉱の記憶を訪ねて>①

以前のブログで、炭鉱跡地でのアート作品を紹介していました。
 
                <アートの力で炭鉱の記憶を掘り起こす、アート展を観て>
 
823日にシャトルバスで、その後のアート作品を観てきました。
823日~1013日までの、土日祝日の19日間のみ)
 
夕張市旧北炭清水沢火力発電所旧北炭送電鉄塔の道、三笠市旧奔別炭鉱ホッパー。
地図に沿って写真で簡単にご紹介します
 
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①「そらち炭鉱の記念マネジメントセンター」から出発。(岩見沢駅徒歩1分。広場から左側に。事務所には炭鉱遺産の資料や写真が展示してあります。シャトルバス運行は予約制。電話(0126-24-9901)
 
②夕張の「清水沢駅に立ち寄って(現役です)、清水沢会場へ。(15の作品を展示。)
 
③★「旧火力発電所」(夕張)
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ミメノン氏作「永続」炭鉱で働く人々の功績が枯れることなく、この地に生き続けるという作品。きれいな作品です。
 (ミメノン氏を訂正。→グループ名のようです)
 
 
 
 
 
 
 
 
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2011年「炭鉱マン」の作品、今は石のイスに葉が茂っているだけです。
 
伊藤隆介氏の映像作品「清水沢山」:発電所の地下で清水沢山を発見。当時の写真と映像を組み合わせて山に上る炭鉱マンの映像は、その頃を想像させる作品になっています。
 
④石炭博物館:展示資料を閲覧。
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夕張市内で「メタセコイア」葉の化石を発見しました。石炭を作った植物の中で杉、「メタセコイア」(和名、あけぼの杉)は、氷河時代に絶滅したと言われていたようです。夕張にあったのはアメリカから苗木として移植されたもので、長い期間を経て、植物の堆積が石炭に変化したということです。(画像は、建物前にあった佐藤忠良作品。昭和61年の制作寄贈)
 
⑤北炭送電鉄塔の道
 
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鉄塔に小さな旗がなびいていますが、旗を取り付けて作品になりました。取り付ける場合に行政との書類手続が面倒のようで、やっと3ケ所に旗が立ったようです。
道端近くの1カ所に真下からも眺められるように椅子が置いてありました。丁度、キタキツネがひょっこり現れて、可愛いですね。(鉄塔が青空に幾何学的な形になって見事です)
 
 
⑥昼食(「メープルロッジ」)「シェフ特製ラザーニャ 彩り野菜添え」をいただきました。(スープ・サラダ付、夕張メロンやアイスクリームも。(アート特別メニュー?@1,100)。 宿泊、日帰り温泉プランもあります。
 
⑦「旧国鉄朝日駅」(廃駅)
 
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大正3年に開通した国鉄万字線。「万字炭山駅」の始発から3番目が「朝日駅」で、室蘭本線岩見沢「志文駅」に連結していました。
 
「万字炭山駅」~「志文駅」まで、約24KM。昭和30年代からの炭鉱閉山で過疎化し、昭和60年に廃止。
 
 
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作品は、高橋喜代史作「炭鉱の話」
 
 
 
 
 
 
⑧「旧国鉄唐松駅」(とうまつ駅)
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昭和4年に、岩見沢~幾駿別間の幌内線として開通(現在は廃止線)。石炭搬出の貨物車として開通後、翌年に旅客一般駅として開始。
 
改札口に手書きの時刻表が残っていました(日中は3時間から5時間おき)。駅舎内の窓口には人形などの置物や装飾も。書き込み駅ノートもありました。廃駅と思えない程、手入れが行き届いています。
 
 
 
★次回は三笠市の奔別会場へ。