思いめぐらす日常のひとこま

はてなブログに移行し、和紙を素材に絵づくりなどを考えめぐらしています。

<「札幌国際芸術祭」連携事業、そらち炭鉱の記憶を訪ねて>②

(前回ブログのつづき)823日にシャトルバスで、その後のアート作品を観てきました。    823日~1013日までの、土日祝日の19日間のみ) シャトルバス運行は予約。
                   電話(0126-24-9901)
 
(①夕張市旧北炭清水沢火力発電所旧北炭送電鉄塔の道)
 
 ★三笠市旧奔別炭鉱ホッパー>
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こちらの会場では、4人の作家さんによる作品(岡部昌生氏、上遠野敏氏、坂巻正美氏、中渓宏一氏)。ホッパー建物外に2作品と、中には2つの作品に、住民、学生さんの作品が展示されています。
 
イメージ 2中渓宏一氏作「森かえる」
 
ドームテントの中は空っぽで、丸い窓からは秋の草花が揺れていて心地よい空間です。「自然の恵みを活用した21世紀型の森暮らしを体現」し、エネルギーについて考えるきっかけを提供したいとのこと、これから何かが加わるようです。
 
 
 
坂巻正美氏作「奔別礦渡友子交際所馬頭世音奉」
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道順に「奔別 礦渡友子曾」の、のぼりが立っています。ホッパーの裏側の森を上った所、テント内に作品が設置してありました。「友子」とは、徳川家康から授かった、金塊の鉱物類を探し歩く鉱山技術者集団とのことです。友子同盟を頼りに、馬と森深い場所の鉱石を探し歩く過酷な仕事。1本の木に、神や仏を祀るという習慣があり、昭和30年代まで奔別地域にも「友子制度」が残っていたようです。
 作家さんは、千メートル近い坑道から眺めた地上の本別川をガラス板に写し描いて源流を辿る「 歩行ドゥローイング」の作品にし、奥には近代以前の動力として共に働いた馬、「旧奔別町馬頭観世音碑」祭壇の作品を設置していました。
 
上遠野 敏氏作「モスモス‐黄金郷‐」
自然に還る理想郷としての作品。2階に展示しています。冒頭の画像のように外から2階に昇る階段は、木枠で抑えたトタン板。高所恐怖症の私は足元だけ見てやっと2階入り口の中へ。さらに細い階段を昇って、のぞく感じになるのですが足が震えて作品は観てきませんでした。屋根裏のような場所に植物を植えているようです。
 
岡部昌生氏作「炭鉱の記憶・そらち/幾春別」
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石炭を搬出する長さ100mホッパーに、二つのワークショップによるフロッタージュ技法の作品が展示してありました。右側が岡部氏の作品です。左側には市民や学生さんの作品(中には奔別地域の土を収集して、墨汁のように描いている作品も)。岡部氏の100m弱の作品には圧倒されます。
 
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岡部氏のお話では、日本の近代化のために炭鉱産業が大きな役割を担ってきたとのことです。お話を要約すると夕張は明治時代から炭鉱の町として栄えてきたが、日本政府が本格的な施策として、大正・昭和30年代にかけて特に北海道の石炭の埋蔵が多い空知地方を重点的に炭鉱の都市として誕生させている。採掘した石炭を移送するために、馬の運搬から、鉄道の敷設になり、石炭を~小樽(旧国鉄手宮線)・室蘭(旧国鉄幌内線などの鉄路から港町に運び、本州の近代化や戦争に使われていった経緯があるとのことです。
 
岡部氏の作品は、「札幌国際芸術祭」の主要会場「道立近代美術館」(都市と自然)企画展でも展示されています。(9月28日で終了。後の機会にその様子も載せたいと思います。)
 
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車窓から見た奔別町のある風景。
赤い屋根の建物は玄関を中心にした6軒屋で旧鉱員舎のよう。当時は壁を隔てて会話ができる、お風呂もない狭い環境だったそうです。
 
 
 
 
★次回は炭鉱特別編:「三笠プロジェクト2014」北海道インプログレス主催、
川俣正アート」その後。
★「札幌国際芸術祭」関係の記事は、あと2回程で終了の予定です。
読んでいただいて、ありがとうございます。