思いめぐらす日常のひとこま

はてなブログに移行し、和紙を素材に絵づくりなどを考えめぐらしています。

<炭鉱特別編:「三笠プロジェクト2014」北海道インプログレス主催、「川俣正アート」その後>

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「三笠プロジェクト」は、パリ在住の美術家川俣正氏が三笠市を拠点に立ち上げたアートロジェクトです。2008年から関係者と話し合いを重ね、2012年に廃校の小学校体育館で制作を開始し、20147月に完成した炭鉱街のインスタレーション。縦30m、横18m、髙さ6mの大きいな作品で体育館いっぱいに広がっていました。地域の子どもや施設入所の高齢者なども参加し、長い時間をかけて作家さん、関係者、住民と一緒に制作した昼の炭鉱街作品です。(建物がない中央は、川になっています)
 
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建築家との話し合いを参考に川俣氏は木枠の組み立てを工夫し、その上に厚紙で作った家は1,500個以上。
画像左は背後からみた風景。ズリ山は熱を埋蔵しているので草木は生えません。当時ズリ山近くに生産施設があり、その周辺に鉱員宿舎の6軒屋が並び、主に平坦地には職員の宿舎が建っていました。職員の住宅は玄関を中心にした2軒屋で、浴室、子供部屋もある広い間取りだったようです。
 
 
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古い夜の写真を参考にしています。炭鉱をテーマに創作活動を行っているアートユニット(コールマイン研究室)の菊地拓児、林哲氏の構想を基に、昼の作品の下に関係者(大学の芸術科や建築科の学生さんも参加)や住民の参加で夜景が完成しました。下に電球を敷いて、その上に黒いシートを張り巡らし、韓国から取り寄せた「でんぷんつまようじ」を1本1本差し込んでいく。
盛況だった頃の三笠市人口を見立て、68,000本以上を差し込むのは気が遠くなるような作業だったよう。
 
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画像の左が「でんぷんつまようじ」、電球の明かりが反射して表面にでてきます。右が木製の爪楊枝です。
 
炭鉱は3交代勤務なので、夜間帯は窓に明かりが灯る、日常の風景だったでしょう。作品はパノラマのような美しい夜景で、静かで生活の匂いを感じるようでした。ぜひ観ていただきたい作品です。
 
 
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このような夜景が広がっているのですが、全体は撮れません。見事な作品です。
 
●見学には予約が必要です。普段は毎月の最終土曜日になっていますが、見学日のご相談に乗ってくださるとのことです。
「三笠プロジェクト事務局」担当:逢坂様(090-6996-9884)
 
●市から借り受けていた体育館は2年後には取り壊わしの話もあるようです。降雪で体育館の屋根や窓枠も傷みが激しい、作品の素材は紙なので保存は難しいでしょう。何とか屋根だけでも修繕したいと、事務局方のお話です。カタログを今年中に発行の予定で、3年間の制作過程の全体と川俣正氏の全プラン、ドローイングも掲載してカラーで編集中とのことです。
 
●空知炭鉱の歴史と役割は、「そらち炭鉱(ヤマ)の記憶マネジメントセンター」サイトの「炭鉱の記憶」をご参照ください。(http://www.mc.soratan.com/
 
<見学で感じこと>
 
①空知炭鉱の特色
 
国策の下に、北炭、三井・三菱、住友の大企業が中心になって、空知地方の自然な場所に炭鉱産業を開発し炭鉱街ができました(夕張、三笠、美唄、上砂川、歌志内、赤平、芦別)。掘った石炭を国が買い取る方針で企業に丸投げしたものです。
特に人口が多い時は、夕張市12万弱。三笠市では7万弱の都市人口になっていました。石炭に依存しているため、他の都市とは隔絶した地域に炭鉱街が造られています。生活基盤のすべてを企業が整備し、小学校を卒業するまでは特に他の街に出かけることもなかったという、暮らしに十分な環境が整っていました。
 
②安価なエネルギー政策への転換。
 
政府のエネルギー政策転換から、国内の石炭産業は縮小傾向になり、特に炭鉱街として誕生した空知地方の炭鉱産業は大企業の倒産や撤退で、この地域から引き揚げていきました。炭鉱産業のために造られた街なので働く所が無くなり札幌や東京方面など、働き手が都市に流出しています。都市に人口が集まり狭い土地に企業や住いの高層ビルが増え続け、緑豊かな自然環境が削られていきました。
 
現在も国の助成金や働く場を得るために危険なものを担っていく地方の姿があります。貧困な地域が生き延びるための苦しい選択でしょう。北海道では原子炉の泊原発です。
人口1,800人弱の泊村周辺には、立派な建物と広く舗装された道路が目立ちます。原子炉の再稼働や廃炉後の不安はないのか、仕事があるのか、泊村周辺の生活はどうなるのか、地域が暮らす場として存続できるのか、等など。アートを通して考えさせられる機会になりました。