思いめぐらす日常のひとこま

はてなブログに移行し、和紙を素材に絵づくりなどを考えめぐらしています。

<ふらふら寄り道、石川啄木の跡地を訪ねて>(札幌 北区①)


2015年「さっぽろライラックまつり」のイベントが昨日で終わりました。
61日、札幌も夏を迎える季節になります。

昨年の5月中旬頃、大通公園ライラックの花の写真を撮ってきました。市民の後ろで啄木もライラックの香りを楽しんでいるようですね。
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「無知をさらすと、トクをする」と、どこかで読んだ記憶も。啄木を意識したのは、この写真からです。
私はツイッターで、石川啄木の歌碑に「しんとして幅広き街の秋の夜の玉蜀黍の焼くるにほひよ」と歌が刻まれている。8月に秋~冬と札幌で過ごしている。暮らしはどうだったのだろう・・・と、気になってつぶやいたのです。
ところが、札幌で過ごした期間は、明治40914日~927日の2週間ぐらいですよ。と貴重な訂正をいただきました。
石川啄木は有名な詩人ですが、道内の数ヶ所で滞在し去っていった、という印象しかなかったので先のつぶやきになったのです。
このことがきっかけで、啄木の跡地を見て歩くことになりました。


まず、詩人啄木の26年間の生涯、全体像を把握するために、分かりやすい文章と写真が載っている別冊太陽「日本のこころ195 」を読む。
                     (明治45312日 享年26歳)
啄木に関することは、本やネットに多くの情報があるので、ここでは2つの点に絞って書きたい。一つは札幌にある跡地に行くこと。私は方向音痴なので地方で見たい場所が見つからず、時々悔しい思いをしている。啄木跡地への道順を簡単に写真で紹介しよう。2つ目は、歌碑内容の説明や詩人啄木としての姿勢や精神には入らない。私には難しいことなので啄木の跡地を辿りながら感じたことを書こうと思う。

●第一歩は啄木が札幌に2週間在住した下宿跡へ。

住所は、北区北7条西4丁目の高層ビル。この場所に住んでいた跡地として1階ホールに「石川啄木像」があるらしい。さて、JR札幌駅北口を出たら、左方角にカタカナ文字看板のビルが見える。たしか、カタカナ文字のビル名だった、方角もあっている。前の信号を渡り少し歩いて右側のビルに着く。
1階を探しても啄木像が見当たらないのでビル管理室で聞いたら、「そんなのはありません」。「たしか郵便局の跡地に建ったビル・・」あやふやな説明をする。「隣に郵便局がありましたよ。今は下の方に移転していますが。」一緒に外に出て見た建物。その隣には訪ねた「札幌北スカイビル」がある。
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おかしいなぁ・・、高層ビルの裏に回ってウロウロしていたら、窓から洋品などが見える事務所があったので訪ねる。事務所では編み物やキルトなどを取り扱う東南アジアとの文化交流活動の拠点として交流を図っている。(大滝さんのお話から)「60年間、ここに住んでいるので、よくわかりますよ。行きましょう。郵便局の2階に啄木さんが住んでいたようですよ。」と、大滝さんに裏道から案内をいただき、啄木像が設置してある、すぐ近くのビルに着く。
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この建物は「札幌クレストビル」である。
建物11階の1階ホールに、啄木像と歌碑、札幌で過ごした説明文などがあった。
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(後日に情報誌を入手。「エピソード北区」(平成19年発行)の9799ページに「漂泊の札幌二週間 啄木下宿」が載っている。それによると啄木は田中宅の2階に下宿している。当時の郵便局と田中宅は隣接していて、同じ建物のような話になったのではと推測する。)

この位置から紀伊國屋書店、ヨドバシ店が見える。私は、カタカナ文字がスーと入ってこないので、まごまごする。唐突な例えで恐縮だが、元首相の小泉純一郎氏の日本語は分かり易い。が、現総理の安倍晋三氏のカタカナ語で話される言葉は頭上を通りすぎていき、ピシッと入ってこないのだ。時代的な感覚か、しかし、きちんと確認しないのがよくないのだが。


カタカナ文字看板の思い込みで第一歩からふらふら歩くことになった。
その当時は郵便局が狭いので田中宅を買い取って広げた経緯がある。ビル名の間違いから郵便局の事が気になって仕方がない。それでは次回に。