<「札幌国際芸術祭2017」(芸術祭ってなんだ?)>を観て(2) 一市民の感想
「大風呂敷プロジェクト」は、市民と一緒につくる芸術祭象徴の取り組みです。回収ボックスを札幌市内イオン7店舗、札幌市役所や区民センターなどに設置して布とミシン糸の協力を呼びかけ、大風呂敷工場には色とりどりの布が山積みになっていました。大風呂敷縫いは、工場の他に学校やサークル、施設などの団体や自宅で縫う個人参加などで市民全体のプロジックトになっていました。
芸術祭のテーマは「芸術祭ってなんだ?」です。美術館で絵を観るから少し分野を広げて関心を持ちはじめた私は、赤い表紙小冊子の観賞ガイドを丸めて持ち歩き、市内で行われている展示と音の場に佇んで、「なんだ?」の体験でした。芸術祭が終幕し淋しい感情の中にも温かい余韻が残り、何なんだろう・・・。子供盆踊りに行くため、好きなアザミ模様の浴衣に赤い帯を締めながらウキウキ感のよう。
もうひとつ、市民参加型のプロジェックトに「さっぽろコレクテイブ オーケストラ」がありました。札幌コンサートホールKitaraを会場に16:00~18:04までの演奏、市内に住む小学生から18歳までのアンサンブルです。音の鳴るものをもって集まれの公募で約2年間、各分野の講師や協力でワークショップを数回行い本番での披露でした。
オーケストラ コンダクターの大友良英氏は、パンフレットに次のような言葉を載せています。「大人の見本をなぞるのではなく、自分たちで音楽をみつけていくこと。それもひとりではなくアンサンブルの中で。そんなことを可能にする「場」を作ることがさっぽろコレクテイブ オーケストラの役目・・未来は自分たちの手で作っていくことができるということと繫がっていくような気がしています」
前の席で演奏していた子供たちが席を立って、リズムに合わせてイキイキと動き回わり、指揮をやりたい、やりたいと音の鳴るものを持ちながら演奏の前で飛び跳ねているのです。大友氏からは「指揮者が見えるように」との一言だけ。2時間も動き回る子供たちのパワーは凄い。大きな舞台で緊張どころか、練習の成果を楽しんでいるようでした。最後は参加しているギター演奏者を囲んで座り、名前を連呼する「名前の歌」。自分の名前を呼ばれて皆と唄う笑顔に感動しました。個々の集まりがアンサンブルを仕上げたということでしょうか。終幕には並んで客席に挨拶をするでもなく、子供たちがぞろぞと舞台から居なくなり、忘れ物を取りに男の子が戻ってきたので笑ってしまいました。
大友良英JAMJAMラジオ @kbs_jamjam の中で、市民参加型という、一般の人を巻き込むのは本当に難しい。途中でトラブルもあるが、カオスと秩序を繰り返しながらダイナミックな映像としてみせる。行政や市民を巻き込んでの芸術祭は課題も多いが芸術で地域、日本を作り上げていく一つかも知れない、それを信じている。トラブルになるから止めるのではなく、多くの人の参加で次につなげてほしい。このような内容を話されています。
大友さんの著書「音楽と美術のあいだ」(2017.3 フィルムアート社発行)を読んで、最後の10月1日は道立三岸好太郎記念館開催の大友良英アーカイブと決めていました。展示を観て、大友氏は冷静で緻密に一つ一つを積み重ねて努力していく、そんな姿勢を感じました。他人も自分も楽しめるような取り組みは、相当の忍耐力と成長するという信頼感がなければ、そして根底には受容と確信のようなものがあるのだと思います。
オーケストラでは舞台の左手で目を細めて子供たちのいきいきした演奏を楽しむ一方、冷静な目で確認されていたと思います。同じように札幌の舞台で繰り広げる個性的な展示と音の祭典も、未来に向けて星座たちの輝きを見守っていたのではないでしょうか。未だに芸術祭が何だったのか分かりませんが、そんな気がするのです。