★幕末、江差を舞台に幕府軍艦「開陽丸」の運命(旧幕府とともに) ③
ニシン漁の廻船問屋「旧中村家住宅」、漁業、商業などの問屋「横山家」、また北海道最古の神社「姥神大神宮」(うばがみ だいじんぐう)では、ニシン豊漁で栄えた記念を毎年8月に祝い、町を練り歩く渡御祭が盛大に行われています。
<開陽丸>
「いにしえ街道」から海に向かい、海岸には、えさし海の駅 開陽丸「開陽丸青少年センター」の建物と、その後ろの海辺に幕府軍艦「開陽丸」があります。平成2年にオランダで製造した設計図をもとに原寸大に復元したものです。
幕末に江差海の沖に止まっていた「開陽丸」が暴風雨で沈没しました。平成2年に調査し、復元した木造艦内には、海底から回収された遺品が3万点以上展示してあり、砲弾の音と勇ましい蠟人形の声にびっくり。解説の文章や、当時船員が寝ていたハンモックなどがわかりやすく展示してあり、体験もできます。
船内の甲板から「かもめ島」が見えます。
<かもめ島>
海面に浮かぶ、「瓶子岩(へいしいわ)」は漁民の守り神として崇拝され、江差にニシンの群来が押し寄せて町が繁栄したことを記念し、毎年7月の「かもめ島祭り」には町内の若者がしめ縄をかけかえます。(全長30mに重さ500キロ)
さて、かもめ島を歩きましょう。
敵を見つけるのに、今はスマートフォンで情報を収集できますが、昔はどうだったのでしょう。
江戸時代の後期に、侵入する諸外国船を迎え撃つ場所が設けられました。「かもめ島(鴎島)の大砲を備える場所は、南にキネツカ台場、北にテカエシ台場が設けてあったそうです。
境内には船頭たちが寄進した石鳥居や方向の刻された手洗石が残されています。