思いめぐらす日常のひとこま

はてなブログに移行し、和紙を素材に絵づくりなどを考えめぐらしています。

森山大道写真展 北海道<最終章>を観て つづき

56日、森山大道写真展を観て、2つの点から感想を紹介していました。
                        (前のブログを参照)
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前回は、①匂い(におい)のあるスタイルを書きました。
今回は、②人間に出会い続ける旅、を感じたままに書いていきます。
 
大雑把ですが、広い空間の写真と、ごちゃごちゃした写真。しっとりした
湿度感を感じさせる写真は森山大道さんの写真展らしいと思いました。
 
<人間に出会い続ける旅>
 
写真の風景は、自然、街並み、家、店、そして、人の営みがあります。
その中で、子供、若い人、女性、男性、中年、高齢者が想い想いの表情で動き回っていました。
その時代のポスターや看板、生活用具、身に着けている洋服やサンダル履もあり、記憶をたどる懐かしい風景ですね。
 
路上撮影なので人物も後ろ姿が多いのですが、線路や道を歩く背に、
それぞれの違った表情があり、想像をかきたてられます。
雨上がりの夕方でしょうか、遠くに見える鉄塔に向かって歩く姿には、虚無僧のような雰囲気が漂っていて惹かれる作品です。
 
おでん、おにぎりの食札がかかっている店内に、横を向いて丸いイス座っている子供。店の入り口に後ろ向きで立っているサンダルを履いたサラリーマン風の中年男性。イスに座って、何か話している模様入りのシャツを着た2人の若者。
何気なく撮った昼時の写真。家族ではないが、温かい空気が流れています。
 
*ぷっと吹き出しそう。仕事帰りに飲んできたのか、電車内でぐったり寝込んでいる男性のしかめ顔。
*たまには女性のアップの写真。前を向いて物思い顔で身のこなしが女性らしい。大道さんの好みのタイプかしら。
*薄暗い店内にウィスキーの瓶やグラスが並ぶカウンターに座って喫煙中の女性。きっ、と振り向いた一瞬の目がいい。大きいとか、美しい瞳というより目に力があります。これから仕事よという感じですね。
 
観賞する側の受け止め方は様々でしょうが、時代の記憶と同時に登場人物に何かを語らせるような情景があります。写真の中に人間の息遣いが見えるように思いました。
 
森山大道さんは、写真家「井上青龍 1956-1988」の写真集の後書きを書いていますので、少し、引用します。
「井上青龍さんの写真が、いま東京の若いカメラマンたちの中で強い共感と共に受け入れられている。昨年ヒステリック・グラマーから刊行された「釜ヶ崎」の写真集もすでに売り切れたと聞く。・・・若い人たちは井上さんの写真を単にカッコよさでみているのでは決してなく・・・時代を見据えた井上さんの視線と行動の嘘のなさを、若き特有の直感で読みとったのだと思う。写真から勁く暖かな肉声と体温を嗅ぎ取ったのだと思う」。
 
井上青龍氏は大道さんが写真の世界に入り、初めて出会った先輩です。
 ストリートカメラマンとして、写す違いはあっても、井上さんからバトンタッチを渡されたつもり、と書いています。
 
30年前、神戸に居た時に私もボランティアで、月2回の頻度で釜ヶ崎に通いました。その時に、会社を辞めて釜ヶ崎で手伝っていた30歳過ぎの男性が「長靴を脱げなくなった。こんなに人間らしい、やさしい人たちに会ったので・・」と話していたことが思い出されます。
複雑な経緯をたどって釜ヶ崎路上での生活。社会が無意識に分けたアウトサイダー側の人は、人の痛みを自分の痛みとして感じるのでしょう。
 
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他国では一人っ子政策で、大人は豊かな生活ができて満足かも知れませんが、子供の世界は可愛そうですね。
日本でも核家族の豊かな生活スタイルが提示されました。それがあたりまえの生活、幸せな生活の目標にもなったように思います。
でも努力にもかかわらず。不可抗力の遭遇で幸せの目標から外れる生活も多々あるでしょう。
 
森山大道さんの写真には、血の通った優しさを感じます。いいんだよ、どの生活も。笑いと涙の中に人間がいるのだからと。社会が決めた枠にとらわれず、どんな人にもスポットを当てている、そんないい、写真展でした。
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