思いめぐらす日常のひとこま

はてなブログに移行し、和紙を素材に絵づくりなどを考えめぐらしています。

新春のごあいさつ

f:id:ku3re5:20210102122405j:plain

三角公園を思い、年賀状を作りました。(和紙を素材に、約13cm四方の色紙)

 

明けましておめでとうございます。

 ヤフーブログから、はてなブログに移行して1年半経ち、新たなご縁に感謝しております。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

 

年末年始のコロナ禍緊急相談会と年越し大人食堂などの支援内容がツイッターに流れています。この1年、特に冬季の新型コロナ感染拡大はつらいもの。どうか、早くコロナが収束し安心した暮らしにと願うばかりです。

 

昔の話ですが、大阪・西成区にある「あいりん地区」(通称、釜ヶ崎)へ、ボランティア活動で休んだこともありましたが月2回通っていました。

日雇い労働者の街とも言われていましたが、この地区にはホームレスとなる方々の中に高齢者も多く暮らしています。地図にない街「あいりん地区」は、行政がつけた呼称とのことです。

ホームレスの方々は街の清掃や軽作業を行う、そんな仕事もしていたようです。

「あいりん労働福祉センター」に4年間通いました。(現在は閉鎖。建て替えなどで町が新しく整理される、再開発の方向でホームレスも減少しているとのことです)。

そのセンター前に三角公園(通称)がありました。その公園で野宿をするのですが、やはり冬期は大変つらいものでしょう。

 ボランティアは男女2班に分かれて手伝っていました。男性ボランティアは、おにぎりと毛布をもって外回り。女性ボランティアは食事つくりです。私は料理の下拵えや後始末の作業を手伝っていましたが、この食堂は定期的に店を開けており、主に高齢者を対象にし、50円、100円と代金をいただくお客様です。

駅までの帰りは車道を歩き、車が歩く人を避けるように上手に通り抜けていきます。道路の両端には酔って寝ている方々、臨時の労働作業で、その日暮らしです。また上着やズボン、下着などが歩道に広げてあり、100円・・値札が付いています(よく古着の寄付を募っていますが男性物ばかりです)

少額でもお金をいただくことで、自尊心を大切にして人間関係を築いているのです。

ある30代の男性ボランティアは「長靴が脱げなくなって・・」あいりん労働福祉センターの「相談室」に入職し、住民となって暮らすようになりました。人情味のある暮らし、誰でも受け入れる包容力、厳しさの中にも弱者に対する優しい温もりのある街として、思い出に残っています。

 

冬の到来・JR滝川駅

f:id:ku3re5:20201104112606j:plain


f:id:ku3re5:20201104104908j:plain

f:id:ku3re5:20201104105101j:plain

11月4日、紅葉の終盤に雪が降りました。札幌では昨年より4日早い初雪です。市内でも南区の定山渓方面では、積雪のある雪景色がツイッターに流れていました。私が住んでいる地域では一時的に降ったり、晴れたりで、積雪はありません。

北国から冬の到来ですね。  (冒頭の画像は6時半過ぎ)

 

さて、私ごとですみません。背・腰部骨折の後遺症で痛みは持続していますが、行動範囲を広げて動いています。10月初めに滝川市に行ってきました。

滝川駅構内にある休憩室に展示してあった、滝川の歴史について少しご紹介したいと思います。

滝川市は北海道中央部に位置し、夏は30度とも暑く、冬は豪雪地帯と言われる内陸性気候です。JR札幌駅から特急50分程で滝川駅に到着します。(旭川までの中間にあり、この間に砂川、深川と石狩川水系に沿っている街。)

滝川は明治23年に開拓者の移住から明治31年に鉄道が開通しています。昭和になり石炭産業で人口も多く街が賑わう時期もありました。現在は農畜産物が主で特産物に全国的に知名度が高い、松尾ジンギスカンの発祥地と言われています。また広大な菜の花畑から採集した天然の、なたね油も有名です。 

★最後に画像で紹介します。

f:id:ku3re5:20201104105744j:plain

f:id:ku3re5:20201104110237j:plain

上は現在のJR滝川駅   下は展示から当時の駅、歴史

f:id:ku3re5:20201104110329j:plain

数年前の駅ホーム

f:id:ku3re5:20201104110444j:plain

帰りに車窓から

f:id:ku3re5:20201104110645j:plain

 

★ブログは状況を見ながらアップしていきたいと思います。ご来訪をありがとうございました。

九州の豪雨の被害

f:id:ku3re5:20200709172139j:plain

豪雨から九州全体で亡くなった方が60人、行方不明の方が17人という(9日の午前)、大きな被害に心からご冥福とお見舞いを申し上げております。

熊本県の南部にある人吉市では18人が亡くなっています。私は30歳ごろに3年間人吉で過ごし情報を見ていて心が痛みます。人吉では熊本弁とも違い公家ことばのようで、三日月城ともいわれている人吉城跡を「青井さん」、また上下にも「上さん、下さん」と話し、穏やかで親しみ感じます。

 

人吉在住時で、特に2つのことが思い出されます。

山に囲まれた五木村。バス1台がやっと通れるような道を降って行きます。五木村の歴史から熊本県の民謡「五木の子守唄」の歌詞が実感としてわかり、この曲のイメージが変わりました。子守をする少女たちは「口減らし」で奉公し、赤ちゃんを背負って聞かせていた子守唄です。貧しい境遇にある少女、悲しい唄ですね。人吉を離れてからですが、ダムを造設するため村全体が川に沈んでしまう情報で心配していました。10年前に計画が中止になり、人口減少や高齢化の中でも産業を立て直し村が存続しています。本当に良かったと思います。

 

もう一つは熊本県球磨郡にある中等少年院です。謄写版で歌詞本を作り、生徒さんと歌うために音楽の先生とボランティアとして週に1回通いました。1952年にヒットした「雪の降る街を」は人気があり定番曲となりました。また球磨川沿いの河川敷で少年たちと鍋を囲んだひと時は宝物になっています。

 

最後に、皆さまは新型コロナウイルス感染拡大の予防で不安な日々を今も過ごしておられると思います。私事ですが、巣ごもりも終わり、これからという矢先に転倒して骨折。5月31日の道内十勝沖の地震を知らせるアラーム音でびっくり。起きる時、布団に足を絡めて仰向けに転び翌日受診して腰部、背部の骨折。この暑いのに、コルセット装着です。お蔭さまで自宅療養が可能から簡単な食事つくりや片付けをしています。椅子に座ると大腿部にコルセットが突き刺さり、上にあげると胸に突き刺さる。削りましょうとのことで受診したら、上下反対に装着していました。

今は生活リハビリを進めています。周囲にはコンビニやスーパーがあるので、そろりそろり動いています。7月末にはコルセットを外し、腰椎バンドであれば行動範囲が広がると頑張っています。

久しぶりのブログでした。

<東日本大震災から9年経ち>


f:id:ku3re5:20200310155318j:plain

2011年3月11日14時46分頃、広い範囲で最大震度7という東日本大震災。遠い札幌でも震度3と揺れました。テレビの映像で地震から押し寄せる津波の恐ろしい勢いを、ただ呆然と観ていました。そのうちに、福島第一原子力発電所の事故です。

いたたまれなく次の朝に出かけた場所が、冒頭の画像です。静かなギターの音色を不安で傷ついた心に届けたい、大ごとにならないようにと、浮かんだ場所でした。(彫刻家、本郷新作品の「奏でる乙女」ブロンズ像。本郷新記念札幌彫刻美術館に向かう道の交差点の部分に設置してあります)

警察庁の発表によると、2020年3月1日現在も不明の方が6県で2529人とのことです。
今も暗い海に向かって、乙女像が静かに奏でながら悲しい記憶、傷をやさしく包んでいるようです。そして今も終わりのない原発事故の不安で故郷に住めない、場所も奪う人的、自然災害の厳しさを思います。

 

f:id:ku3re5:20200310155531j:plain

北海道胆振東部地震 6ヶ月後に行った時の写真です。

 2018年9月6日03時08分ごろ、北海道胆振東部地震は最大7の震度が発生し(厚真町鹿沼震度7を観測)、震源に近い厚真町では土砂崩れに巻き込まれ36人が亡くなっています。札幌でも最大6弱の揺れで、その後に北海道全域が停電で「ブラックアウト」が起きました。

 1年6ヶ月が経ち、所用で厚真町に行きました。3月4日の北海道新聞 どうしん電子版の内容です。「北部4地区には地震前、計約90世帯がいたが、今は約3分の1の30世帯余。多くが地区外の仮設住宅などに出たままで、戻らないと決めた人も少なくない。・・懇親会、パークゴルフ大会、新年会―。コメ農家が多い地区で農作業の合間の楽しみだった自治会の主な行事は地震後、休止している。」

 

f:id:ku3re5:20200310160009j:plain

低い山からの土砂崩れの後、現在も工事が行われています。まだ地震で倒れた木々は残っていますが、崩れている山肌に小さな木々が並び、植林が施されていました。復興は、まだまだです。

 

厚真町 ご当地のおススメ>

厚真産ハスカップの「塩漬け」と「ご当地石けん」。厚真産の「さくら米」

震災後6ヶ月に買ってきたジンギスカン2種。

f:id:ku3re5:20200310162144j:plain

 

< 春は足元から >

f:id:ku3re5:20200213113332j:plain

さっぽろ雪まつりは11日に閉幕しました。札幌も今年は雪が少なく、大雪像をつくるために日本海側で雪が多く降る倶知安などからも運んできたようです。

3つの会場で、市民や各国の地域が参加した大小の雪像や氷の彫刻が201基設置されたとのことです。お天気にも恵まれた冬の祭典でしたが今年は、新型コロナウイルス発生の影響もあり、例年よりは来場者が減っています。

中国から発生し、広がっていく感染の情報を日々得ていますが、新型肺炎で死亡された方、治療中の方、また感染拡大のため足止めされている方々の不安を思うと1日も早い収束を願うばかりです。

 

さて雪まつりの大雪像も12日に解体があり、イベントはすべて終了しました。
あとは、春に向かっていくだけです。
12日~札幌の最高気温が8度以上と4月上旬から中旬並みの暖かさですが、
15日から急激に気温も低くなり、湿った雪が降るようです。
雪が降るのは月ごとで違っても、量は帳尻を合わせると言いますが、今年はどうなのでしょう。春が待ち遠しいですね。

札幌の歩道です。車道は黒々としていますが春の訪れは、まだまだ遠いです。

f:id:ku3re5:20200213114108j:plain

 

f:id:ku3re5:20200213114200j:plain

 

★1月に帯広に行きましたので、そのうちにアップしたいと思います。

<過去に2度開催した「札幌国際芸術祭」から> ③

第1回目の芸術祭のテーマは「都市と自然」、第2回目のテーマは「芸術祭ってなんだ?」です。 (今回は写真が多く、少し長文になります)

芸術祭は音楽家大友良英氏をゲストディレクターに迎えて、2017年8月5日~10月1日まで開催されました。展示作品のほか、パフォーマンス、ライブイベント、また市民参加型もあり、市内のどこかでイベントが行われている?情報もあり、会場は44ヶ所、参加アーチスト151組と広がっていました。市内の展示作品を観て歩き、うきうきしていた気分が今も残っています。

f:id:ku3re5:20200204173626j:plain

サブテーマは「ガラクタの星座たち」 画像は大友良英氏の作品です。
会場は道立三岸好太郎美術館。大友良英アーカイブ(お月さままで飛んでいく音) + 三岸好太郎ワークス(飛び出ス事ハ自由ダ)。多彩な展示資料を観て、大友氏が緻密に重ねてきた表現の背後には氏の冷静な目が感じとれます。

2回目の芸術祭では、画像で市民参加型のプログラムを紹介したいと思います。

f:id:ku3re5:20200204174133j:plain

f:id:ku3re5:20200204174201j:plain

f:id:ku3re5:20200204174226j:plain

「大風呂敷プロジェクト」は、市民と一緒につくる芸術祭象徴の取り組みです。市民に布とミシン糸の提供を呼びかけて市内にボックスを設置し、工場や自宅で大風呂敷を縫う、市民全体を巻き込んだプロジックトです。私もほんの少し参加しました。デパート、JR札幌駅構内、地下歩道などに風呂敷を掲示し、芸術祭のシンボルになっていました。 この大風呂敷プロジェクトについて、下記に以前のブログを貼っておきますのでどうぞ。

 

f:id:ku3re5:20200204175520j:plain

f:id:ku3re5:20200204175551j:plain

もうひとつの市民参加型プロジェックトに「さっぽろコレクテイブ オーケストラ」があります。
市内に住む小学生から18歳まで公募し、「音の鳴るものをもって集まれ」と約2年間ワークショップを行い、札幌コンサートホールKitara会場で披露となりました。(子供たちが音を鳴らして舞台を駆けて、実に楽しそうに演奏する2時間もの調和した音に感動しました)

オーケストラ コンダクターの大友良英氏は、パンフレットに次のような言葉を載せています。「大人の見本をなぞるのではなく、自分たちで音楽をみつけていくこと。それもひとりではなくアンサンブルの中で。そんなことを可能にする「場」を作ることがさっぽろコレクテイブ オーケストラの役目・・未来は自分たちの手で作っていくことができるということと繫がっていくような気がしています」
また、大友良英JAMJAMラジオ @kbs_jamjam の中で、市民参加型という、一般の人を巻き込むのは本当に難しい。途中でトラブルもあるが、カオスと秩序を繰り返しながらダイナミックな映像としてみせる。行政や市民を巻き込んでの芸術祭は課題も多いが芸術で地域、日本を作り上げていく一つかも知れない、それを信じている。トラブルになるから止めるのではなく、多くの人の参加で次につなげてほしい。このような内容を話されていました。オーケストラでは舞台の左手で目を細めて子供たちのいきいきした演奏を楽しむ一方、冷静な目で確認されていたと思います。同じように札幌の舞台で繰り広げる個性的な展示と音の祭典も、未来に向けて星座たちの輝きを見守っていたのではないでしょうか。未だに芸術祭が何だったのか分かりませんが、そんな気がするのです。

<最後に>

1回目の芸術祭ではアートを通して札幌の歴史や炭鉱の町、また先住民族であるアイヌ人が生きてきた時代などを顧みる機会になり、今も関心につながっています。

f:id:ku3re5:20200204194813j:plain

(北海道近代美術館会場。岡部昌生氏の夕張炭鉱遺構のフロッタージュ作品)

2回目では市民参加型の芸術祭を見せていただきました。

★さて、3回目の芸術祭は冬季の開催と決まりました。(2020年12月19日~2021年2月14日:58日間)
冬の芸術祭が、どのように展開するのか楽しみです。

 

ku3re5.hatenablog.jp

 

 

<3年ごとの芸術祭、過去に2度開催した「札幌国際芸術祭」> ⓶

1月31日から「さっぽろ雪まつり」が開催されています。大通会場、すすきの会場は、2月4日~2月11日までの期間です。今年は記録的に雪が少なく近郊から雪を運んできていますが、各地域でも雪不足でイベント中止の情報もあるようです。

 

なにかと余裕がなくブログも休みがちですが、過去に開催した「札幌国際芸術祭」の続きです。2014年に第1回、2017年に第2回、2度とも夏の季節に札幌で芸術の祭典が繰り広げられました。

芸術祭の感想は以前のブログに載せています。ここでは今も心に残るテーマから画像を上げて書きたいと思います。

 

●第1回目の芸術祭から  テーマ:「都市と自然」

f:id:ku3re5:20200203102215j:plain

画像は、坂本龍一真鍋大度「センシング・ストリームズー不可視、不可聴」です。

会場はモエレ沼公園と札幌駅前地下歩行(チ・カ・ホ)でした。森林の電磁波をセンサーで感知、そのデータを映像化し音楽に変換するものです。

芸術祭はアーティストの坂本龍一氏をゲストディレクターとして迎え、7月19日に開催されましたが、坂本氏はニューヨークで治療中のため、会場には迎えることができませんでした。準備の段階で開催のテーマで、選ばれた場所が「モエレ沼公園」です。
この公園は廃棄場所だったものを地域住民の声から札幌市が取り組んだ公園整備の一つ、彫刻家ノグチ・イサムが公園全体をアートに造設した広大な公園です。坂本氏はその場所に立ち、芸術祭のテーマを考えたようです。
プログラムに沿って、参加アーティスト64組、18会場で72日間の芸術祭が行われました。

 

 

 

 

f:id:ku3re5:20200203103026j:plain

画像は旧道庁舎「赤レンガ」前「北3条広場」に設置された島袋道浩「一石を投じる」の作品です。

島袋さんが作品に込めた思いは、明治以降に整備された札幌は、すごく直線的で人工的な街。そこに直線的ではなく、ぐにょぐにょした有機的なもの、自然そのものを持ち込んでみたい。と平取町の二風谷地区から、数十トンの自然石を運んできたものです。(平取町の二谷に「平取町立二谷アイヌ文化博物館」があります)

札幌大通公園の13丁目エリアにある札幌資料館、その館内に芸術祭の市民交流、情報発信の拠点として、アートプロジェクト「SIAFプロジェクトリーム」がオープンし現在も活動しています。その資料館前庭には、島袋道浩氏の作品が置かれており、春には二谷の自然石から芽が出で緑の葉がしっかり成長しています。

f:id:ku3re5:20200203103319j:plain

 

★次回は2017年、2回目の芸術祭から。

 

ku3re5.hatenablog.jp

<第1回の「札幌国際芸術祭」開催をきっかけに> ⓵

2014年に 都市と自然をテーマにした第1回「札幌国際芸術祭」が開かれました。芸術で自然と共有する都市を模索する芸術祭です。展示作品を観て札幌の歴史を振る返る機会になりました。

f:id:ku3re5:20200113113850j:plain

2011年3月に、地下鉄さっぽろ駅と大通駅をつなぐ移動空間(チ・カ・ホ)ができました。沿道のビルと地下通路の接続,地上の光を取り入れた天井、イベント広場や軽食が楽しめる休憩場所など、歩いて10分ほどの心地よい空間です。

f:id:ku3re5:20200113114039j:plain

また、2014年7月19日に地上の札幌駅~大通駅中間に「北3条広場(アカプラ)」がオープンしました。地下歩道ともつなぐ、旧道庁舎「赤レンガ」前の通りが憩いと催しの広場になっており、オープ ンスペースにはカフェテラスが設けられ、広場と一体になって楽しめます。

f:id:ku3re5:20200113114221j:plain

そして、2014年7月19日 同日に第1回「札幌国際芸術祭」が開催されたのです。
私は初日に、北3条広場でオープニングセレモニー、アイヌ民族の神事「カムイノミ」を観てから、地下歩道を歩きました。

f:id:ku3re5:20200113114351j:plain

地下歩道の作品を観て歩き、この足元の下にも水が流れていたのでは。そして石狩川の支流、豊平川扇状地の豊かな土地で先住民族アイヌ人が生活をしていたのだ、今まで意識にのぼらなかった不思議な感覚でした。

画像作品は、山川冬樹「リバー・ラン・プラクティス:石狩湾から札幌駅前通地下歩行空間へ遡上する」のひとつです。山川氏は市内の家庭から布を提供してもらい、ご自分が乗って遡上する舟を作りました。当時の人が舟に荷物を積んで川を渡っていたのを想像し、相当の時間をかけて準備していました。幾つかの支流を漕いで実際に遡上したライブパフォーマンスです。

江戸時代の後半から明治時代以降に開拓地を経て札幌の都市化が計画的に行われてきた、その過程で何が失われたのか。芸術祭を通して改めて足元を顧みる機会になったのです。

 芸術祭に感じたことは以前のブログに書いていますので、ここでは地下歩道で見たインスターレーションから、同作家が展示している偕楽園緑地の「清華亭」を観に行きましたので画像でご紹介したいと思います。

f:id:ku3re5:20200113120217j:plain

f:id:ku3re5:20200113120243j:plain

上の作品が、偕楽園緑地公園内の「清華亭」のインスタレーション、毛利悠子作「サーカスの地中」です。光や温度、磁力など見えない力で物が動きます。静かな場所で音や明かりの動きを観てゆったりと過ごしました。

 最後に「偕楽園緑地」公園近くにあった彫刻作品、本田明二作「朔風」です。

f:id:ku3re5:20200113120531j:plain

 

★次回には3年に1回開催する「札幌国際芸術祭に」のテーマについて少し。
 

<「偕楽園」は、水戸偕楽園をモデルに?>

f:id:ku3re5:20200108135839j:plain

先のブログで少し触れましたが、「偕楽園」は明治4年(1871)に北海道長官の岩村通俊の命によって開設した日本で初めての都市公園です。
園には9年後に「清華亭」が完成しています。水戸偕楽園をモデルにしたと言われていますが、茨城県 水戸(市)に、水戸藩主の徳川斉昭公が造営した日本庭園「偕楽園」に貴賓所がありました。(「エピソード・北区」よりの情報)。

偕楽園の周辺に、湧水池から水が溢れて川が流れていたようです。
アイヌ語で「ヌプ・サム・メム」(野の傍らの泉地)と言われており、工業試験場、農業試験場、さけふ化場、博物場などを併設する大きな公園でした。

f:id:ku3re5:20200108140155j:plain

f:id:ku3re5:20200108140415j:plain

1880年 公園内に建てられた「清華亭」(せいかてい)は、開拓使の貴賓接待所として
和洋折衷の美しい木造建築物です。(当時の玄関や窓などの写真が掲示してありました)
翌年、明治天皇が北海道行幸(ぎょうこう)の際に休憩所として利用されています。
画像は、1978年に改修された現在の「清華亭」です。
有島武郎内村鑑三新渡戸稲造、宮部金吾などの札幌農学校の関係者も常連客だったようですね。

広大な公園も時代を経て、「清華亭」と周囲が少し残る程になり、2002年に「偕楽園緑地」として改めて公示されました。

f:id:ku3re5:20200108141004j:plain

f:id:ku3re5:20200108141031j:plain

住宅地に囲まれた公園の奥に「清華亭」があり、くぼんだ場所には小川が流れていたと想像できます。

「快楽園緑地」公園には、石川啄木の歌碑がありました。

f:id:ku3re5:20200108141142j:plain

(*??・・ブログ記事で間違った画像を削除したいのですが、右クリックで切り取っても、残ってしまいます。編集画面を開き、画像を選んで削除したら、記事が全部消えてしましました。まだまだですね。)

 

★次回は「清華亭」室内の展示から、2014「札幌国際芸術祭に触れて。

<「サクシュ琴似川」の水源は?>

f:id:ku3re5:20200105150122j:plain

石狩川の支流、豊平川扇状地にある「サクシュ琴似川」は、北海道大学植物園の周辺に湧き出た池を源としています。肥沃な場所で幾つも泉が湧き出ていたようです。アイヌ語で“メム”と呼ばれていました。

JR札幌駅から徒歩10分ほどにある大学の植物園、その場所は開拓使によって造られていました。
1886(明治19)年頃に、その植物園用地が札幌農学校(北大に)に移管されました。日本で2番目に古い植物園とのことです。

f:id:ku3re5:20200105150748j:plain

f:id:ku3re5:20200105150826j:plain

2006年に、この場所で竪穴住居の屋根などが発掘されたとのことです。

サクシュ琴似川は、大学植物園の近くにある、「偕楽園」の湧き水池から流れる小川と合流し、札幌農学校(現在の北海道大学)に注ぐ自然川でした。

偕楽園」は、現在の「偕楽園緑地」 (かいらくえんりょくち)で、JR札幌駅の北口から徒歩圏内。北7条7丁目にあります。

 

昨年の11月末に、たまたま「琴似川」を見て浮かんだのは、この「偕楽園緑地」公園の敷地内にある「清華亭」室内で展示があった毛利 悠子氏のインスタレーション作品だったのです。(2014年に開催した「第1回札幌国際芸術祭」) ずいぶん横道にそれて、やっと辿り着きました。

「サクシュ琴似川」への場所を冬の景色で、再掲します。

f:id:ku3re5:20200105152125j:plain

f:id:ku3re5:20200105152157j:plain

この建物「北海道大学薬学部付属薬用植物園」の後方に、川があります。
入り口は「北11条西5丁目」門で、車は入れません。

★それでは次回に「偕楽園」について、少しご紹介しましょう。