思いめぐらす日常のひとこま

はてなブログに移行し、和紙を素材に絵づくりなどを考えめぐらしています。

「Walking歩行という経験」 モエレ沼公園で

残暑の厳しい8月末に札幌にある「モエレ沼公園」に行きましたが、暑さと
歩き過ぎで翌日にダウンしてしまいました。
の日は、公園にあるガラスピラミットでの展示会「Walking歩行という
経験」を観るためです。創られた「空間」で「詩」が語られ、詩から
インスピレーションを受けて「絵画」が立ち現われるのです。
詩人の菅 啓次郎さん、アーティストの佐々木 愛さん、空間構成の
豊嶋秀樹さんとのコラボレーションの展示会でした。
 
展示内容は次回に紹介し、まず、展示場所となった「モエレ沼公園」を
ご案内します
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モエレ沼公園」のピラミットは、公園のシンボルとも言えます。
1階は、自然と一体になった憩いの空間。2階が展示会室。
3階には彫刻家イサム・ノグチのギャラリーがあります。
 
屋上から公園の全体が見渡せます。
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モエレ沼公園イサム・ノグチが設計した公園で、公園全体が一つの彫刻とする特徴があります。
公園の広さは、約180ヘクタール、内部陸の面積は100ヘクタール。
(例えば、1ヘクタールは、3000坪でしょうか、沼と広大な緑地をもつ札幌市の総合公園です)
 
札幌の北東に位置する「モエレ沼公園」は、札幌市の緑化の一環として、
1982年にモエレ沼公園、敷地の造成が始まりました。6年後、イサム・ノグチが公園づくりに参画しています。
1988年の5月~指揮をとっていましたが、1988年12月30日に心不全で亡くなり、彫刻家の意志を継いだ公園は、2005年にオープンしました。
 
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(和紙と竹を組み合わせた灯り。イサム・ノグチの作品、1階に常設展示)
 
ご存知と思いますが、イサム・ノグチは、渡米中の詩人野口米太郎とニューヨーク生まれの教師レオニーを両親に、19041117日に生まれています。
イサムは合衆国で生まれて2歳の時に来日し、13歳には一人でアメリカに渡りました。父親が不在で、帰属する国がはっきりしない、そんな中で母親、
レオニーとの関係はイサムの生涯に強い影響を与えているようです。
 
191011月、製作・脚本・監督の松井久子はイサムの複雑な生い立ちを「レオニー」のタイトルで映画にしました。
「レオニー」はドウス昌代イサム・ノグチ~宿命の超越者(講談社刊)」をもとに映画化されていますが、松井監督は2003年にドウス昌代の著書と出会ってから、様々な困難を経て7年目にやっと、感動作品を完成させました。
 
この映画の最初と最後の場面に「モエレ沼公園」が出てきます。
広大な公園で自然と親しめるように彫刻を配置し、子供が自由に遊べる場を造り、様々な遊具まで作っています。イサムの理想郷のようですね。
 
<映画予告篇です。音楽がきれいで、しっとり感があります>
  クリックでリンクへ。
 
<当日のようすを写真で> ガラスピラミットの建物前、人口の霧です。
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<アクアプラザ>
水が噴き出していますが、周りの流れは浅く、子供たちが足をひたしたり、泳いだりして遊んでいました。
 
後ろに見えるのが、
「モエレ山」です。
3方向から山頂に登ることができ、公園全体、札幌市市内?まで見渡せます。
 
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左側は「テトラマウンド」:映画の最初と、特に最後の場面に出てきます。
札幌での撮影で、当地の子供たちが出演していますね。(ビデオか映画で)
 
右側:「モエレ山」です。頂上に人が見えますね。階段に手摺もあります。
 
<最後に>
写真を撮って歩いていましたら、道に迷ってしまい、バス停に戻れなくなりました。
歩いて、歩いて自転車ロード、坂道、スポーツ施設など、ぐるぐる回って
モエレ山を遠回りに1周していたようです。
最後には足が棒のよう、涼しい白樺の中を歩いて無事に到着しました。
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