「Walking歩行という経験」 モエレ沼公園で(2)詩と絵と空間に流れる曲
「Walking歩行という経験」展を話しましょう。
<創られた「空間」で「詩」が語られ、詩からインスピレーションを受けて「絵画」が立ち現われる>展覧会は、詩人の菅 啓次郎さん、アーティストの佐々木 愛さん、空間構成の豊嶋秀樹さんによるコラボレーションです。
写真はカタログから写したもので、画像が良くないのですが、想像をして楽しんでください。
歩いてきみは始まった 管 啓次郎
【ヒトは歩きながら自分を作ってきた。種としてのヒトがそうだった。個人としてのぼくもそうだった。歩けば歩くほど、身も心も削れてくる。その削れた跡がヒトとぼくを造形し、ヒトも
僕も地球のさまざまな土地になじんできたのだと思う。ヒトがどうはjまったのかはぼくは覚えていないがアフリカの熱帯雨林から草原への進出がその背後にあったとすれば、森の枝から手を放し草原に立ち上がったときヒトはヒトになった。歩くという癖も、遠くを見る癖も、そのときついた。視覚も筋肉もそれで鍛えられた。そして脳が莫大な情報を得るようになり地平線があればそれをめざすようになった。未知があれば歩いてゆくようになった。
一緒に歩きませんか。】
展示室に入ると、まず大きなスクリーンが下げられていて、描かれた様々な樹木が流れて、重なりあい、森の空間に入り込んだ感じです。
<時の幹、樹木> スクーリンにゆらゆらと、ふれあって映し出されます。
【音であり声である言葉と、さししめされる無言の言葉】
展示室は、面積267m2(約80坪)くらいの広さですが、音楽に乗せて語られる詩人菅さんの「詩」の朗読をヘッドホンで聞きながら、森の道を巡ります。その詩の横に、佐々木さんが描いた絵が展示してあり、耳から、目から言葉が入ってきて、絵の中にスーと、入って味わえます。
【暗い道を歩いていった。
杉の森の間を縫う舗装道路だ。ここは1930年に植えられた実験林で
「疎」と「密」に成果を競わせるつもりだったらしい。
渓流の音が聞こえた時 光が出現した。 はかなく点滅する小さい軽い光が
ゆれながらおびただしく飛ぶ 目の高さ、膝の高さ あるいはふと思いついたように
木々の高い枝の方まで上がってゆく 歩いてゆくぼくらの前に
蛍の川、蛍の道が現われる 何を告げるのかこの光の残像は
魂を奪われたように私たちは六月の中を歩いた
頭上にはばらまかれたような満天の星】
空間の構成は、歩いて森や動物、山や空想の世界に出会えるように作られており、ぐるぐる回りながら、森の散策を楽しみました。
【ギタリストが彼の指板の上を ゆったりとした歩調で歩いている
その歩みに連れて音楽が鳴りだす 彼は飛ぶように右にゆき左にゆく
錯綜する歩行がまるでダンスのようになってきた 歩くことによって彼はいろいろな
別のかたちの生命を試みるのだ ほらコヨーテの歩みがはじまる
ほらヒエナの歩みがはじまる ほらジャッカルの歩みがはいまる
ほらディンゴの歩みがはじまる
すると彼のまわりに草原と砂漠が展開する
すべてこれらの獣は彼の土地のトーテム どんな風土でも彼は仲間を見出す
風景に固有のかれらの夜の吠え声が ギタリストの奏でる音楽となる】
このように、詩と絵が共鳴しあうかのように曲がりくねった空間に展示されています。
会場内には「歩くこと」をテーマにした150冊ほどの本が、15章に分けて展示されていました。① 取りつかれた歩く人たち ②歩行と思索 ③詩と放浪 ④都市歩行 ⑤辺境へ ⑥巡礼という生き方⑦ 歩行小説 ⑧古き人々、土地の生活 ⑨建築と空間体験 ⑩鳥の生活を学ぶ ⑪山に登る、森を歩く⑫ 動物、植物を追って ⑬進化と身体から見た歩行 ⑭歩行技術としての写真 ⑮北を歩く
どの世界に興味がありますか?本棚から手に取って座って読むこともできます。
興味のある本、読んだ本、好きな本の宝庫ですね。
スクーリン前の椅子で詩を聞いていましたら、心地よい眠りの世界に誘われそうになり、森を後にしました。