思いめぐらす日常のひとこま

はてなブログに移行し、和紙を素材に絵づくりなどを考えめぐらしています。

<ふらふら寄り道・・、③<啄木が見た札幌の風景>

明治40年、故郷の渋民で免職となった石川啄木55日に函館へ。函館の弥生尋常小学校代用教員になるが825日、函館の大火に遭い仕事を求めて914日札幌に到着。札幌の新聞社北門新報の記者小国露堂(啄木と同県の人)の紹介で同社の校正係として採用されることになった。

イメージ 13代目札幌駅。(現在は開拓の村に一部が再現されている)明治409月(1907に建設。 啄木が降りたった2代目札幌駅は木造平屋建ての白壁で洋風建築。北側半分が吹き抜けになっていたようす。ところが啄木が札幌から小樽に移った翌月に駅の西側が火災で消失したため、画像の3代目札幌駅が建設されています。
啄木は14日午後1時頃、札幌駅に着いた。
「乗客の大半は此處で降りた。私も小形の鞄一つを下げて乗降庭(プラットホーム)に立つと、二歳になる女の皃を抱いた、背の高い立見君の姿が直ぐ目についた。もう一人の友人も迎えに来て呉れた。(立見とは、文藝仲間の向井永太郎、もう一人の友人は道庁勤務の松岡政之助である。) 立見は『この逵は僕等がアカシヤ街と呼ぶのだ、彼處に大きな煉瓦造りが見える。あれは五番館といふのだ・・・』 立見君の宿は北七条の西なん丁目かにあった。古い洋風擬ひの建物の、素人下宿を営んでいる林田中サトといふ寡婦の家に室借りをしてゐる。・・私もその家に下宿する事になった。尤も空間は無かったから、・・・もう一人の方の友人と同室することにしたのだ。」
石川啄木作品集、第三巻の「札幌」113114ページから。啄木は22歳に上京してから小説を幾つか書いているが、他の感想文でも同じようなことを書いている。)

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旧道庁から札幌駅よりの北4条西3丁目の角に、明治39頃から洋館風の2階建て赤レンガ造りの「五番館」が建っていた。道内で最初の百貨店を啄木は見ている。昭和47年に地上8階、地下3階に改築して、平成21年に閉店。その後建物を解体している(白い塀で囲まれた場所
 私もよく五番館に入っていたが、お洒落な建物が懐かしく残念である


啄木は北門新報の校正係になり、午後1時頃から夕方までの勤務で札幌の周辺を散策していると思われる。新聞社は、現在の駅前東急デパート周辺にあったらしい。当時の札幌周辺の写真を北大の第二農場に掲示してある昔の風景写真で紹介する。(撮影可能

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農学校(北大)敷地内か?







野口雨情は明治末頃の大通りについて書いている。

「道路の中央は広い草原で東西に長く続いている、この草原を中に挟んで両側に傍側道路がある、この傍側道路に面したところを判りやすいように大通りと言っている、札幌のうちでも大通りは淋しい方であった

(「野口雨情 郷愁の詩とわが生涯の真実」から。何時ごろの写真か、こんな風景も?)



札幌は寔に美しき北の都なり。初めて見たる我が喜びは何にか例へむ。アカシヤの並木を騒がせ、ポプラの葉を裏返して吹く風の冷たさ。札幌は秋風の国なり。・・・此処に住むべくなりし身の幸いを思いて、予は喜び且つ感謝したり。・・札幌に似合へものは、幾層の高楼に非ずして幅広き平屋造りの大建物なり、・・・際立ちて見ゆる海老茶袴に非ずして、しとやかなる紫の袴なり。」 石川啄木全集 第4巻「秋風紀」116ページから)


イメージ 6「第二農場」
農学校校舎(現在の北海道大学)は現在の札幌時計台一帯にあり、当時の第二農場は現在の大学正門から北にむかって広がっていた。その後、北海道開拓モデルとして、北10条西5丁目周辺に明治42年まで第二農場があった。啄木の下宿から近い。多分見ていたであろうと推測する。


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大学の拡大と都市化のため、その後解体して現住所北18条西8丁目 北大の「北18条門」の場所にある。 地下鉄南北線18条駅 徒歩7







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第二農場の隣りにある「遠友学舎」とニセアカシヤ

現在の豊平川河川附近で開いた「遠友夜学校」は、明治27年から農学校の教授だった新渡戸稲造夫妻が貧しい子女を集めて教育した夜学校である。当時豊平川に沿ってバラック建てに住む貧民が集合していた。札幌の貧民「武士(さむらい)部落」ともいわれていた。夜学校は木造建ての民家を活用し有島武郎も学生の頃に教えている。生徒をモデルにした作品といわれる「お末の死」を後日に発表。有島はアメリカから帰国後、明治4011月に農学校の英語講師になり2年後に「遠友夜学校」の代表になっている。 有島武郎研究叢書 第一集 87ページを参考)

啄木が札幌に落ち着いていたなら、有島と交友があったかもしれない。札幌滞在中には野口雨情と出会っているが、そのことは次回に。