思いめぐらす日常のひとこま

はてなブログに移行し、和紙を素材に絵づくりなどを考えめぐらしています。

<ふらふら寄り道・・、⑮「啄木は函館の立待岬で永遠の眠りに、啄木の足跡を偲んで」(1)


5月の肌寒い日、函館に行ってきました。啄木ゆかりの場所を辿る小さな旅です。
早朝6時に特急で札幌駅を出発し、帰りは函館駅18:49発の日帰り。雨も降っていて、せわしい旅になりました。特急で札幌~函館までは3時間半程。札幌~網走間の5時間20分程を思うと、南方面に位置する函館は近いですね。当日に辿った経路と場所を画像で、ご紹介します。

【1】「啄木小公園」と「土方・啄木浪漫館」

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この経路は、バスのみで市電に乗り継ぐことはできません。駅前バスターミナル③番乗り場から海に沿ってのバス路線で10分以内(本数は1時間に12本)小公園近くにバス停留所

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1階が土方歳三 2階が石川啄木の展示室になっています。資料室の奥の部屋で浪漫シアター「啄木物語」を観ることが出来ます。建物の横に、啄木の歌碑がありました。時間がないので、ベンチに座って駅で買ったお弁当を。早朝なので特急での車内販売はありません。


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★当時、砂山があった大森浜で啄木は砂に寝転がって詩作に想いを馳せていた場所。

明治40年9月、札幌に向かう前日も、最後の散策をしていました(現在は日出町)





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座像の台座には、「潮かをる北の浜辺の 砂山のかの浜薔薇(はまなす)よ 今年も咲けるや 啄木」  台座の手前には、西条八十が啄木に寄せて作った歌碑があります。昭和34年に道内を旅行した際に作った歌。(啄木像の近くは国道で、車窓からも見えます)
石川啄木像は、彫刻家本郷新の作品です。本郷新は啄木に感銘を受けて像を作りたいと想い続けていました。53歳時に制作し、啄木の内面を深く、もの思う啄木像を造りました。「何かに抗して」というイメージで着物、袴も荒削りで特に後ろ姿によく表れています。

【2】函館駅前の市電→「五稜郭公園前」下車。「函館美術館」へ。

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特別展「フランス近代美術をめぐる旅」函館・旭川の2会場で開催。現在は旭川美術館で開催中(~8月17日まで。ひろしま美術館のコレクション)

常設展、昨年亡くなった抽象画家「鎌田俳捺子展」を観てきました。函館出身。北海道の抽象画家として第一線で活躍した代表画家。





【3】市電「五稜郭公園前」→「末広町」で下車。「函館文学館」へ。

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石川啄木生誕百三十年記念特別企画「函館に守り遺されてきた啄木日記」。内容は下記のブログに書いています。


<前回のブログ>






【4】市電「末広町」→「十字街」で、谷地頭行きに乗り換え「青柳町」で下車。「函館公園」へ。


ここで時間をロスしました。公園までは徒歩10分以内なので、晴れていたら公園の正門から入り歌碑を見た後、中を歩いて裏門からタクシーに乗る予定でいました。ところが雨になったので、青葉町の駅からタクシーで公園の外側に沿って裏門に回り、運転手さんに待ってもらいました。裏門から坂を上がった所に2つの池があります。啄木の死後、節子が実家が準備した62間に遺児と3人で過ごした場所、当時は函館公園の横通りにありました。よく子供たちが公園で遊び、奥の池でも遊んでいました(節子の弟、堀合了輔著「啄木の妻 節子」より)。 下が「北海池」、階段を上がった所に「ひょうたん池」があります。               

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さて、次は啄木の歌碑探しです。
急に風雨が激しくなった中で、住民が夜店か坂道の歩道に沿って準備をしていました。歌碑の場所を聞いても分からないよう。急な坂の橋を渡ったり、曲がりくねった道を走り続けたりして見つけた歌碑は「お能」の謡のようでした。函館公園は摺鉢山なので道は平坦ではないのです。幾つか歌碑のような石があちこちにあり、ウロウロして見つけたのが石川啄木の歌碑の場所を示す案内看板でした。階段を上がって歌碑の背後から、公園に入る正門の入り口が見えます。この公園近くに、啄木は離散していた家族を呼び集めてやっと一家で函館大火まで過ごし青柳町の家の場所があります。


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「函館の青柳町こそかなしけれ 
        友の恋歌 
            矢ぐるまの花」 

昭和28年に除幕された啄木歌碑は、風雪にさらされて文字が霞んでいてはっきり読めません。
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正門を入って、向こう側に階段と、歌碑の看板があるのが目印です。





タクシ―が待っている裏門に戻り、「啄木一族の墓」へ。

★写真が多くなったので、2回に分けて書きます。つづく。