思いめぐらす日常のひとこま

はてなブログに移行し、和紙を素材に絵づくりなどを考えめぐらしています。

<「偕楽園」は、水戸偕楽園をモデルに?>

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先のブログで少し触れましたが、「偕楽園」は明治4年(1871)に北海道長官の岩村通俊の命によって開設した日本で初めての都市公園です。
園には9年後に「清華亭」が完成しています。水戸偕楽園をモデルにしたと言われていますが、茨城県 水戸(市)に、水戸藩主の徳川斉昭公が造営した日本庭園「偕楽園」に貴賓所がありました。(「エピソード・北区」よりの情報)。

偕楽園の周辺に、湧水池から水が溢れて川が流れていたようです。
アイヌ語で「ヌプ・サム・メム」(野の傍らの泉地)と言われており、工業試験場、農業試験場、さけふ化場、博物場などを併設する大きな公園でした。

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1880年 公園内に建てられた「清華亭」(せいかてい)は、開拓使の貴賓接待所として
和洋折衷の美しい木造建築物です。(当時の玄関や窓などの写真が掲示してありました)
翌年、明治天皇が北海道行幸(ぎょうこう)の際に休憩所として利用されています。
画像は、1978年に改修された現在の「清華亭」です。
有島武郎内村鑑三新渡戸稲造、宮部金吾などの札幌農学校の関係者も常連客だったようですね。

広大な公園も時代を経て、「清華亭」と周囲が少し残る程になり、2002年に「偕楽園緑地」として改めて公示されました。

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住宅地に囲まれた公園の奥に「清華亭」があり、くぼんだ場所には小川が流れていたと想像できます。

「快楽園緑地」公園には、石川啄木の歌碑がありました。

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(*??・・ブログ記事で間違った画像を削除したいのですが、右クリックで切り取っても、残ってしまいます。編集画面を開き、画像を選んで削除したら、記事が全部消えてしましました。まだまだですね。)

 

★次回は「清華亭」室内の展示から、2014「札幌国際芸術祭に触れて。