思いめぐらす日常のひとこま

はてなブログに移行し、和紙を素材に絵づくりなどを考えめぐらしています。

<木田金次郎「第一回個展」の頃>を観て。画家を支えた人たち。 ②

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油彩画家、木田金次郎を支えた人や企業を、いくつか上げましょう。
 
★島本融氏:北海道銀行の初代頭取。木田の作品と人柄に惹かれて全面的に協
 力。銀行関係を通して、東京にも紹介。北海道銀行は当初から美術品をコレクショ
 ンし、芸術家をサポートしている。昨年の2月、銀行創立60周年ということで、北海 道近代美術館で「北海道銀行コレクション展」を大々的に開催。所蔵する絵画・彫 刻作品などは見応えがあった。
 
★笠(りゆう)信太郎氏:(当時、朝日新聞社の論説主幹)。木田金次郎の全国巡回 展に関わっている。有島武郎が「スイス・シャフハウゼン」滞在中に、笠氏は 訪ね ている。(「有島は、スイスに立ち寄り「白鳥ホテル」に弟や画家仲間と滞在してい  たが、笠氏が訪問したのをはじめて知った。有島武郎を通じて木田との繋がりは、 縁のようなものを感じる)。
 昭和28年に初個展を開催したが、その翌年に岩内町の大火に遭い、描きためた 作品をすべて消失した。茫然とする木田に「スグセイサクニトリカカレ」と、打電で再 起を促している。この説明文を読んで、何とも言えないものが突き上げてきた。
 
北海道新聞社:初個展での風景画、「断崖」を記事にしている。個展の様子や画  家の制作姿勢を掲載。その作品は大火で消失しているが、画家が64歳に描いた 作品「奈津の断崖」は、北海道新聞文化賞を受賞している。図録に副賞の本郷新 作馬のブロンズ像を前に、穏やかな表情で載っている。(画家は30歳頃から、画  業ひとつに打ち込んでいるが、暮らしは楽ではない。生活記録のように崖を描き続 けていたようである。)
 
★最後に美術批評家、茨城出身の「なかがわ つかさ」氏:記念写真の後列、右か  ら3番目の男性。昭和27年に来道し、木田金次郎の作品に出会ったことで札幌に 住んでしまう。 10年間、作品を辛口で温かく批評して新聞に連載し、幅広い北海 道美術協議会の基礎づくりに関わっている。札幌に美術館がない。だれでも行き  やすい場所、札幌の中央に美術館建設の展望を持ち、働きかけている最中に札  幌で病死。年齢を45歳と公言していたが34歳で亡くなっている。
 (人の生涯は何とも不思議。その人を彩るのは、心奥深くに住んでいる「情」のよな ものが、突き動かされていく。自分という、たったひとつの作品を創り上げる。別に 計画もしていないのに。なかがわ氏を思うと、そんなことを考えてしまうのだ)。
 
    (「 なかがわ つかさ展」を観た時のブログです )
                  ●http://blogs.yahoo.co.jp/reimei_tear_5/22093929.html
 
 
当時「今井丸井百貨店」で初個展を開催したのは、木田金次郎が60歳の時、油彩画を描いてから40年も経っています。沢山ある作品で何を選ぶか、106点を決めるのに迷う作業だったよう。
展覧会実現のために、画壇や組織にとらわれず、力のある企業や団体の支援、惜しみなく奔走する人たち、昔は芸術家を育てようとする気風が、特にあったような気がします。
 
さて、ここで終わりたいのですが、どうしても外せない人、作家の有島武郎の存在です。長くなってすみません。
 
有島武郎との出会いは、言い尽くせないので簡単に触れます。
 
「世に隠れて、ひたむきな画家として生きる道を決めて・・・、一貫としてあったのは、
有島武郎との出会い、言葉だった。」と、木田氏は振り返っています。
 
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※ 初めての出会い:17歳の時に札幌で開催していた展覧会「黒百合会」の中に、有島が描いた海の景色に魅せられる。
木田は滞在していた札幌の豊平川付近の散歩をしている時に、偶然、有島宅を見つけて訪問。
有島武郎の小説「生れ出づる悩み」の中に、「豊平川右岸の、1町歩ほどもある大きなリンゴ園の中に借家がある・・」。現在の住所は、札幌市白石区菊水1条1丁目。借家は、北海道開拓の森に移設されている。
 
 
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※24歳の時に再会:その後も有島と文通を交わしていたが、スケッチなどを見てもらうために、有島が経営している農場を訪ねる。(有島の日記に、「嵐の夕方、木田金次郎が来た。とても楽しい男だ。泊まって行く。」 
ニセコ町の「有島記念館」の場所。
 
木田は稼業が忙しく、あまり絵を描いていない。
27歳まで漁業に従事している。その期間の木田の悩みや様子を、有島は小説「生れ出づる悩み」に書いている。この小説は、木田金次郎がモデルと言われている。                           (写真は図録から掲載。右が木田)
 
 
 
※30歳の時に、有島武郎が軽井沢で心中。1ケ月後に発見され、その葬儀に出席
この時の心情は計り知れないが、このころから画業に専念しています。
 
※61歳、初個展の翌年に岩内町の大火で40年間に描いた1500余りの作品を
消失。再び新たな画風で一心に描き、1962年(昭和37年)12月15日、脳出血で急死しました。画家が69歳の時です。
 
その9年間に描いた作品を守り続けた夫人が、1991年(平成3年)亡くなったので家族がアトリエを整理したところ、スケッチや素描を合わせて180点ほどあったようです。作品がどこにあるのか、不明な分もあり、展示ごとに絵の貸し出しの申し出を受け、その都度、時期や作品の確認作業を行っているとの美術館のお話でした。
 
(木田金次郎「第一回個展」の頃)をテーマにした、今回の展示では、殆ど個人からの寄贈や所蔵品が多く、他美術館や団体の所蔵品が13点。初公開が6点ありました。
個展を観ての感想ですが、木田金次郎氏を思い浮かべると、ひたむき、情熱家、実直、誠実、孤高、謙虚などの言葉が重なってきます。
晩年になって、これからという時に生涯を閉じるとは、ご本にとっては予想外のことでしょう。残念ですが木田金次郎という人、彩りのある生涯の作品を仕上げたように思うのです。
 
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