「札幌国際芸術祭2017」(芸術祭ってなんだ?)を観て。(1)
2014年にスタートした国際アートフェスティバル(SIAF)、前回のゲストディレクターは音楽家の坂本龍一氏、そして3年後のゲストディレクターは音楽家の大友良英氏です。「芸術祭ってなんだ?」がテーマでサブテーマは「ガラクタの星座たち」です。大友氏はイサム・ノグチが設計した「モエレ沼公園(ゴミ捨て場をアートで再生した公園)に立ち、サブテーマが浮かんできたとのことです。札幌市内を大きく7つほどのエリアに分けて会場は44か所。同じ場所でもその日によって内容が変わり、行くたびに楽しめる仕掛けもあるようで、なかなか私には把握できない状況です。今回は会場や作品を紹介するよりも、テーマの「芸術祭ってなんだ?」が気になっていますので、私が感じたことを書きたいと思います。
(ミニ大風呂敷)
終戦後72年を迎えて(2017年)
この度、九州や東北方面、また各地域で記録的な豪雨に見舞われました。また大型の台風が近づいていますので、心配しています。一日も早く安心できる暮らしができますように心から願っております。
こころと暮らしの回復を願って折り鶴を折っています。「一日一羽、一万鶴」の世界を作りました。(冒頭の画像)
周囲にある身近な素材を利用しています。
(60cm×70cmの舞台に並べました)
2017年、新年のご挨拶
今年は、みな様にとっても幸いな年でありますよう
11月1日、北国はいよいよ冬へ。
表紙の前に作成した、「北海道知事館の庭園」をアップします。
そろそろ、サイトに載せていこうと思っています。
これからも宜しくお願いします。
<ふらふら寄り道・・最終、⑯「啄木は今も函館で永遠の眠りに」(2)
お墓は公園の裏門から出て、市電「谷地頭」駅に近い場所にあります。函館山の南端、立待岬に向かって坂道を行く途中に共同墓地がありました。徒歩では難儀でしょう。細い道の両側に沿ってお墓が建っていて、その最後の場所に「石川啄木一族の墓」が建っています。先の(1)ブログでは、「啄木小公園」から海の向こう側に函館山が見えていました。お墓のある場所からは、小公園がある町並みや啄木が散歩した大森浜が一望できます。お墓は立待岬にぽつんと建っているイメージとは違って、そこに住む人々と付き合ってきた旅人の啄木に相応しい環境だと思います。
さて、墓標横がある狭い階段を上がりました。石を重ねたような階段、雨も降っていたので滑りそう。そこからブロック塀をまわった左手にお墓が一つ。その奥に啄木一家のお墓があり、お花が供えてありました。正面と後ろに刻んだある文字は読めません。正面は啄木の歌「東海の小島の磯の白浜に われ泣きぬれて 蟹とたはむる」(啄木がノートに書いていたのを拡大)、裏面には啄木が死ぬ時は函館に行って死ぬという、郁雨宛ての手紙の内容が彫ってあります。宮崎郁雨の発案で、ロシアに強い関心のあった啄木の想いを汲み、北方を正面に日露境界標石を模した将棋の駒のような形をしているお墓のようです。ひとつ置いたお墓の最後に、宮崎郁雨一族の墓」と郁雨の歌碑がありました。
★著書の紹介:阿部たつを著・桜井健治編「啄木と函館」(定価:1,240円)。当時の写真が豊富で、啄木の足跡を訪ねる函館市内案内地図の差し込みもあり、読みやすい本です。
親子を通して啄木と雨情はつながっているようですね。啄木と雨情は札幌で出会い、小樽で本を出版しようと理想に燃え「いや~、あの時は良かったね」と、あちらの世界で酒を酌み交わしているかも知れませんね。北海道で結んだ縁は今も続いていると想像します。 啄木への足跡を読んで頂きありがとうございました。
今年も、戦争のない平和な暮らしを考える。
<ふらふら寄り道・・、⑮「啄木は函館の立待岬で永遠の眠りに、啄木の足跡を偲んで」(1)
<ふらふら寄り道・・、⑭<海を渡った「啄木日記」>
特別室入口内の右の壁に晩年の宮崎郁雨の穏やかな肖像画、中央奥の壁には啄木と節子の肖像画が並べて掲示してありました。啄木の肖像画は、大正2年「石川啄木追悼会」時に斎藤咀華が描いたもの。その肖像画を病室の節子に見せると、じっと見ていて離さないので置いてきたという。節子の肖像画は、宮崎郁雨が晩年の入院中に依頼し、木村捷司が若い時の節子の写真を参考に描いています。郁雨は出来上がった肖像画を啄木の肖像画と並べて、これで良いと満足していたとのこと。肖像画を通して想いを巡らせ、心の深みに触れたように思います。
熊本地震から1ヶ月。
テーマ:「止める」
今朝、散歩中に撮った木々の花、成長したツツジの花に八重桜が咲いていました。きれいですね。小さな画像は? ツツジではないようです。
「北海道知事公館」の春